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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

今年買って良かったもの:グリルパンで肉が焼けるのなんのってはなし。

趣味のもの以外は必要なものなのだから、買って良かったのどうのって考えはあまりしないのだけれど、今年買った“グリルプレス付き”グリルパンは肉を焼く上で革命的だった。1枚肉がぺろんぺろんと焼けるのなんの。

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よく食べに行くお店の人に、ステーキとかチキンソテーとかグリルパンがあるとラクですよと言われて買ったものの、想像以上だ。鶏もも肉1枚が、短時間で、要領もほとんど要らず、皮はサクっと中身はジューシーに焼けてしまう。こんなバカみたいな形容詞使いたくないんだが。

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しかしポイントは、プロの指摘しなかったこのグリルプレスにある。あったりまえだけど、押し付けると、ちゃんとむらなく火が通るんだなあ。両面に塩コショウを適当にふって、まず皮のない面を1分ほど押し焼きして、そしたらひっくり返して押し焼きして、まあ5分ぐらいでしょうか、いいかな? ま、こんなもんかな? と思ったところであげると、思った通りのこんなもんが焼きががる。あ、ニンニクは焼きすぎになるので途中で取った方がいいです。

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グリルである意味のすべては、この皮の焼き色に乗っている。これもあったりまえなのだが、接地面が少なく油が逃げてくれるので、べしょべしょにならずオーブンの手間もなく、サクサクの皮ができる。おなじうまいならラクなほうがうまい。オッカムの剃刀

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厳格な時間管理なしでも、焼き具合で失敗する確率がものすごく減った。表面をきれいに焼くことに執心して中身もパサパサなんてことはもう起きない。ちゃんとぜんぶに食中毒にならない程度の火が入って、かつジューシー。なおブタのステーキもうまく焼けた。牛もうまくいくだろう。ラムチョップは骨が変数になるのでわからん。

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あまった油は棄てればヘルシーなんだろうけど、めんどうなんで野菜を炒める。これはしめじパック半分ぐらいと、あとスーパーライフの顔の見える生産者さん(みな写真写りが半分犯罪者みたいな悪さで逆にリアリティがある)のコーナーで、興味本位で買ったアスパラ菜を半束。これ茎太いのに火の通りがいい。

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醤油を軽くかけ回した後、ラクを貫きとおして肉の上にドサっとやって、炭水化物なしでわしわし食べる。忙しくて外食・コンビニ・ドンタコスが続き栄養がヤバイと感じたとき、これで相当量が補給できる。価格はKFCのセットより安く、調理時間も10分以下。たいへんよろしいんじゃないでしょうか。

 

夢は「見る」ものなのかというはなし

けさ(というか昨夜、寝入ってすぐに)見た夢が久々にひどかった。夢のなかで自分が夢を見ていると気付き、目を覚ますが、それも夢だったという、まさに漫画によくあるタイプの悪夢。あるいは映画『インセプション』。

こういう夢は過去も見たことがあったけれど、今回はすごくクリアに、朝になっても覚えていた。なかなかの衝撃度だ。

夢のなかの夢で、自分は犬とともに旧い祖父母の家の中にいるのだが、その環境はどんどん説明のつかない矛盾した状態となっていく。そこではたと夢だと気付いて、夢の夢から目が覚めると、そこは祖父母の家の庭。

ああ良かったという安堵とともに自分の家に戻り、犬をなでて両親と会話するのだが、そこも次第に矛盾が拡大し始め、状況についていけず右往左往し始める。そして何の前触れもなく、本当に目が覚めた。

 

自分が本当に目覚めたと悟ったのは、その部屋が眠る前の部屋と同じだったことと、ストレスで固く握られた布団の手触り、そして自分の体がベッドに沈み込む重力だった。

思い出してみると、夢のなかの夢から目覚めた時、目覚めたと(偽りの)認識をできたのは、視覚情報からだった。「夢から目覚める直前に2,3度感じた光は、まぶたを通して見える街灯の光だったんだな」と夢の中で思ったのをはっきり覚えてる。

そんなものはもちろん、夢の中で脳の働きが作ったニセの記憶なのだけれど、それが手触りや重力の感覚で無いというのが面白い。視覚だけなんだ。

 

夢はやっぱり、「見る」ものなんだろうか? 触覚や嗅覚でなく、視覚優先なんだろうか?

ところが外国語だと、夢は意外と「見る」ものじゃない。英語では dream はそのものが動詞だし、ふつうに言えば "Have a dream"(強いて訳せば夢を得る)だ。"See a dream" とは聞いたことがない。中国語もふつう "做夢"(夢をする)。あれほど文法や単語の使いまわしが日本語と似ている韓国語も、夢は "꿈을 꾼다"(クムル クダ=夢を夢る)。

すると外国人は、夢とは「見る」ものと認識していない、現実と同じく、五感で経験するものだと認識しているんだろうか?

 

科学的なことなーんも調べずに書くけど、ひょっとして、日本語の「夢を見る」という表現に対する認識、高次の脳の働きが、夢の中の世界での視覚優先という状態を作ったのだろうか? ことばが、夢の世界を規定していたのだろうか?

いや、そんな言語至上主義みたいなのは、にわかには受け入れがたいけど、ちょっと夢がある。

 

ともあれ、そんな夢から覚めた後も、断続的にリアルな夢は何度も続き、何度も起きて朝を迎えた。ものすごく疲れた夜だった。

 

この世界の片隅に - 泣けなかったぶん、何かを得たというはなし

泣けなかったのだ。映画が悪いんじゃない。たまたま自分のメンタルが凄まじく低調で、感情が希薄になるレベルにまで落ちていたのだ。まあそれが持ち直してきたのでこれを書いてるんだけど、その時は映画を最後まで冷静に観て、なぜこの映画は人を感動させるんだろうなんてことをていた。一方で、情動がない分、こまやかにに表現された世界に対するロジカルな理解というか、納得感を得た。

 

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巨大な戦争の中で続いていく、ちいさな暮らしを描写したこの作品に、ハリウッド映画のような分かりやすい物語の構造は見えづらい。けれど分解してみれば、きちんと物語の軸がある。

戦争という状況を抜いてしまえば、これはシンプルなメロドラマだ。流されて嫁いだ主人公すずが、自分の生活を作り、愛に確信を得ていく物語。結末で、その愛が運命であることが語られる(ここだけファンタジーになるのが巧い)。あとで原作を読んだけれど、そちらではメロドラマとしての性格がより色濃く出ている。

一方、戦争という状況との対峙も、ひとつの物語だ。深刻化していく戦争は、そのまま映画の時間軸での盛り上がりと一致する。その戦争をどう乗り越えていくかの物語。そして終戦とともに迸る感情で、それが悲劇であったことが明確になり、エピローグ的に、再生してく日常を希望ととらえ、映画は終わる。

 

ふたつの物語いずれも、すずが、流されるままの日常から脱し、自分の意思で物事を決める=自分の人生を自分で得るポイントがある。そこが物語の重心だ。

メロドラマとしては、すずがあこがれ人に、自分の意思で愛する相手を示す場面がある。それ以降、夫婦は対等に愛を確認していく。

戦争劇としては、後半の大きな喪失から続く、家に落ちた焼夷弾と向き合うシーン。ここに、すずの「暴力と戦う」という明確な意思が込められていると思う。けれどもそれは遅すぎて、結局ままならないままの悲劇となる。

 

こまやかに紡がれる、日常の小さなエピソードの連続は、大きな2つの物語を支え、動かす。愛の物語では、すずの愛を深めていく導線として。戦争の物語では、立ちふさがる暴力に抗うための、潜在的な武器として。

愛の物語、戦争の悲劇、そして連続する小さな日常の物語。人はそのどれに感動したのだろうか? 恐らく3つが渾然一体となって心に注ぎ込み、より大きな涙を作り出したんだろう。そんなことを、周りの鼻をすする音を聞きながら思っていた。

 

そしてもうひとつ、心から感情が抜けていたぶん、理性的に納得できたものもあった。それこそ、この映画でもっとも注力された、連続する小さな物語の風景と、すずの視線だ。

それは、自分の祖母たちから聞いていた戦時中のはなしとぴたりと一致する。

米軍機の機銃掃射にさらされ田んぼに逃げ込んだはなし。街場に落ちる焼夷弾を、避難先の女学校から眺めて「綺麗だ」と思ったはなし。畑から扱いできた大根を持っていると、どこから来たのか汚い身なりの子連れの女に、一本分けてくれないかと言われたはなし。

なるほど、という納得感がある。

祖母たちの見ていた世界とは、こうだったのか。祖母たちが覚えた感覚は、こういうものだったのか。70年前の思い出話が、映画の情景と重なり、その世界は本当にあったものなんだと納得できる。

フィクションの物語だけれど、描かれる世界の感触は、随筆のようだ。なんというか、「春はあけぼの」の一文を読み、ああ、確かに春はあけぼのなんだなあ、と思う納得感。それに近い。うまく言い当てられているだろうか?

 

戦争を知る祖母たちが消えていき、戦争が思い出の思い出になってしまうギリギリ直前で、この映画ができたのは、幸運なことだったのだろうなあと思う。よい映画だった。

 

余談その1

この映画を観て、「あの戦争がなければ、日本はどんなに豊かだったろう」という感想を見るにつけ、違和感を覚える。終戦を迎え、そこにはためく太極旗の短いカットと、それに続くセリフは、すずが暴力から守ろうとしていた世界が、実は外地からの搾取という暴力の上に成り立っていたということを知り、足元の世界が崩れ去る重要な瞬間だ。

戦争が無ければ、帝国という搾取の構造の上に成り立った「豊かな世界」は続いただろう。その暴力に気付かせるために、あの場面あったのではないのか?

 

余談その2

ふと思った。この映画、意外と劇場版『機動戦士ガンダム I, II, II』を観たときの感覚に似ている。あの映画もひとつの船に乗り合わせた人々の体験した(架空の)戦争の総集編で、団子状にエピソードが連なり、そこに生きる人々のこまやかな会話、ままならない雰囲気が物語の端々に描かれている。逆説的だけれど、富野由悠季は親たちの戦争の手触りを知り、よく分析して、それを反映していたから、結果的に似ていると感じたんじゃなかろうか。

徒然と書いてしまうが、『機動戦士ガンダムII』のベルファスト戦は、ずいぶん後に観たベルファストアイルランド独立闘争の映画『ベルファスト71』の雰囲気に驚くほど似ていて驚いたことがある。あの寒々とした空気感、少し間延びした砲火の音、その下を走る人間。報道の向こうの71年闘争を、富野がどれだけ注意深く観て、読み、その感覚を消化していたかがよく分かる。

すっかり違う作家の話になってしまった。