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farsite / 圏外日誌

Gaaoline's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

北千住『びあマ』のクラフトビール

食い意地

実はビールはそれほど得意ではないのだけれど、友人に「一人では飲めないビールがある」と言われて、はるばる北千住まで行ってきた。ときわ通りの歓楽街にある『びあマ』。

角打ちというか、いまはワイン屋さんでもある業態だけど、お店と立ち飲みカウンターがセットになっている。ただ、カウンターのほうが路面側に出ているのは珍しい。ガラス張りで解放感があり、昭和的な店の並ぶ歓楽街ではかなり目立っている。

 

店の奥の販売コーナーは凄まじい。千種類以上あるのでは。無論、買ってグラス代を追加すれば店内で飲める。一人で飲めないビールというのは、大瓶のビールも置いているので、これを店内で飲もうとしたらやっぱり二人以上要るのだ。

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店にはクラフトジンなんかも少し置いてある。個人的にはニュージーランドビールがなかったのがくやしい。クラフトものじゃないけど、常温飲み用のビール、久々に飲みたかった(家畜の放牧地に出た時用にそういうのがあるのだ)。

 

で、昼間から何杯か飲んだ。何種類かタップで備えているが、ステンレス樽でなく、木の樽に入っているそうだ。ワインと同じで成分の沈殿があるので、開けたてと最後ではかなり味が違うという。

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これは『シエラネバダ トルピード』。フルーツ感強し。『ブリュードッグ ネオンオーバーロード』が凄く面白かった。マンゴーの香りにハバネロの辛みがやってくる。長続きする辛さで、これはドライフルーツと一緒にチビチビ飲むのが良かった。フードは少ないけれどキッシュもおいしい。いろいろ試せるお店で、よろしいんじゃないでしょうか。

 

『マグニフィセント・セブン』ヴィンセント・ドノフリオのきちがい演技!

映画 ジャンル:アクション

『荒野の七人』のリメイク作品。当然ながら日本では『七人の侍』とも関連付けられるけど、実のところ『オーシャンズ11』のようにバラエティ豊かな面々が活躍する、よりスタイリッシュで今風の娯楽映画って感じ。

 

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なんせ主人公がデンゼル・ワシントン。黒人カウボーイ。仲間もメヒコ、サイコ、アジア人、インディアン。それぞれキャラが立ってて、戦い方も個性があってすっごく楽しい。残りの2人の白人(クリス・プラットイーサン・ホーク)は客寄せのおまけだおまけ。いや実際物語のいいところはこの2人が持っていくんだけど。

そしてこの新たな七人のポイントは、全員が馬に乗った対等の存在ということ。アメリカのあの時代、マイノリティ中心に組まれた七人が、フェアな立場で語り合い、共闘していた。そんなのはファンタジーだとは思いつつも、西部のどこかでそんな状況があったのではと思うだけで、なにか幸せな気分になれる。

 

内容はといえば、演技力を活かせる重厚な内容にも、肩の力を抜き切ったあっ軽いクション映画に振り切ることもできず、苦労したんだろうなあと思う。いい役者を揃えたもののそのコストに見合った脚本や美術が得られていないようだ。

特に西部の街のハリボテ感は、ちょっと興ざめだ。実際当時の街がそんな感じであったとしても、もうすこし見せ方で、今の時代にあった映画的な密度を出してほしかった。キャラクターの衣装は緻密であか抜けているので、すこし浮いてしまう。

 

それでも、この七人の個性、魅力には抗えない。デンゼル・ワシントンのカッコよさは言うに及ばず、イ・ビョンホンのナイフ裁きと、心に傷を負ったイーサン・ホークへの優し気な視線は忘れられない。イ・ビョンホン、すごくいい役者だ。男勝りのヒロイン(ヘイリー・ベネット)も出てくるけれど、恋愛要素を切り捨て、友情と信頼に絞ったのは素晴らしい。

そしてやっぱりヴィンセント・ドノフリオ! 愛嬌のある"ちょいサイコ"を演じさせたら彼の右に出る者はいない。『フルメタル・ジャケット』から『ロー&オーダー:クリミナル・インテント』の主役ゴーレン刑事、近年では『ジュラシック・ワールド』と、毎回違うタイプのサイコっぽさを見せてくれる。

今回の役柄も過去のトラウマで脳のネジが少々飛んでしまった、巨漢のサイコ。聖書の一節を唱えながら敵に馬乗りになって手斧で殺す姿は最高。敵のいる建物に飛び込んで、画面に見えないままドタバタやって敵を外に放り出すギャグ、更にヤラれざままで、バッチリ巨漢キャラの定石どおりで最高だった。

 

そして、七人のもと街の面々がひとつになって戦いだす高揚感。無辜の人々をまもるため、敵の前に立ちふさがる七人の献身。この感動は、今作でもしっかりと息づいている。決して器用な展開とは言えないけれど、泣ける。映画館ではびっくりするほどボロ泣きしている人もいた。自分もラスト、あのテーマ曲がながれて思わずほろりときた。いいじゃないか、泣けるって。

その名を受け継ぐすごい作品とは言い切れないけれど、愛すべきキャラクターに彩られた、楽しく、泣ける、良い映画だった。

 

余談。この映画で泣けた人は、きっと『スター・ウォーズ ローグ・ワン』でも大感動できるはず。K2! 

スター・ウォーズ K-2SO 1/12スケール プラモデル

スター・ウォーズ K-2SO 1/12スケール プラモデル

 

 

『ガンダム Gのレコンギスタ』 人と人とを引き寄せるビーム

ジャンル:SF ジャンル:ヒューマン

こちらの記事を読んで、『Gのレコンギスタ』の思い出がまた色々とよみがえってきた。

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富野監督は、世界を表現するあまりドラマが描けていなかったとおっしゃるけれど、その世界に入り込んで観るものにとっては、十分なドラマだった。大きな物語としては、確かに筋道が立っていなかったのかもしれない。でもこの設定、この世界に住む人々、一人ひとりの暮らしが、ドラマになっていた。

 

ひとつ、富野監督が描いた“世界”が、ちらりとだけれど、物語のテーマと直接リンクしたのでは、と思えたシーンが、最終回にあった。

それは、トラクター・ビームだ。

欧米のクラシックな宇宙SF、いまもスタートレックでおなじみのトラクター・ビーム(牽引光線)を、富野監督は彼のガンダムという世界のなかで、再発見している。*1

 

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監督が40年近く描き続けてきたガンダムというロボットアニメにおいて、設定上の特殊な粒子から形成される“ビーム”とは、常に、敵を引き裂き、人を殺すための道具だった。その粒子は一種の斥力を形成するための道具としても描かれた。

その“ビーム”が、40年たったいま、はじめて、その機能を反転し「人と人とを引き付けあう道具」として主人公ベルリに語られ、使われた。混乱極まる最終展開の中でぽろっと出てきたその言葉に、私は物凄く感動した。

ただの便利なSFガジェットとして見てきたトラクター・ビームに、ガンダムの世界でこんな意味が与えられるとは。それは物語のテーマ、人による科学の再征服、人の復権に、ダイレクトにつながる。

面白いことに、「ビーム兵器」と「トラクター・ビーム」は、富野監督がこの作品のために研究した膨大な科学と社会の事象からは出てこない。監督がむかしからアニメの方便として使っていて、そこにガンダムにほれ込んだ人々が後付け設定をして科学的に仕立てた仮想粒子だ。

富野監督はその設定を消化して、「疑似的な斥力を得る粒子なら、反転して疑似的な引力も作り出せるはず」としてしまった。そして、そこに物語的な意味まで与えた。*2

やっぱり、ガンダムは富野監督のものだし、この発想、この設定は富野監督にしか作れないと思った。

 

さて、このエントリに「富野監督」は何回出てきたでしょうか?

*1:厳密には誰かほかのひとのアイディアなのかもしれないけれど、監督は物語の中でモノにしている。

*2:そもそもこの粒子は、宇宙で進化した人と人とが心を通わせるための道具としても設定されていたけど、それこそ相当後になっての追加設定、非科学的な現象を科学的に見せる方便のための設定だ