『希望の国』を観た鬱気を払おうと、気軽に観たんだけれど、これが凄まじい……なんというか……凄まじかった。
よくわからなかった。でも面白かった!
映画が終わったとき、となりの席に座っていた女性ふたりから聞こえてきた第一声は、「よくわからなかった。でも面白かった!」だった。
よくわからなかったが先に来ちゃうんだ。つまりは、映画作品として、物語として、マトモに理解できるものじゃなかった。でも、断片的にはまあ楽しめたってことだ。
もし「面白かった! でもよくわからなかった」なら、映画として全体がちゃんと楽しめるもので、かつ謎が残ったってこと。そんな映画はまた観たくなるんだろうけど、残念ながらコレ、後にくるんだな。もうどうしようもないぐらいに。
SFとしては筋が良いのに、映画としては交通事故かと
実はこの映画、好意的に咀嚼すれば、すっごいマトモなSFだ(以下ネタバレ)。
神とは何かという009らしい問題提起に対して、神とは人間の集合無意識に寄生する知的生命であると、きちんと定義してる。で、「人間が自然環境を作り変えるように、神が人間世界を作り変えたら?」という状況から、人と神との対立と和解を描く。
そう。物語の終わりで、物語はちゃんと神と人の和解、相互理解……それはつまり、人と神が同じになること……に至ってるのだ。SFとして完結させてる。
ところが、完結するまでの過程が、もうマトモな物語になってない。フィルムが交通事故でもおこしたかってぐらいプロットが流れてなくて、肝心の対峙と和解のパートが完全にぶつぎれ。
伏線もそうとう投げっぱなし。へんなところに尺をとって、回収する時間を削ってるとしか思えない。思わせぶりな表現が多いくせに、場面々々でもんのすごく説明的なセリフが連発するのもひどかった。長い製作期間があって、もうすこし脚本考えられなかったんだろうか。
それにそれに、クライマックスはやっぱり九人の戦鬼が集合して戦わなきゃ、盛り上がらないよ!
ほんとはもっと作りこみたかったのかなあ
ひょっとして、この映画ほんとは3部作ぐらいでやる予定が、プロデュースに失敗して1本で終わらせないといけなくなっちゃったから、こんなことになったのかな。
制作側にはすごく辛い事情や苦労があるんだろうけど、不完全な状態でもむりやり、これでいいのだ! って出資側が判断して世に出しちゃったのかね。「終わらせなければ始まらない」ってキャッチは、製作者の悲痛な叫びか。
まあ、こんな長く書きたくなっちゃうってことは、ある意味、価値のある映画だったとは思うんだけど。
余談:物語を現実のコンピューター問題に例えると……
「神とはなにか」なんて言うとまた大風呂敷広げてって思うけど、今回の映画って、いま現在のコンピューター・インターネットの構造に例えると、意外と素直なSFネタじゃないかなって思う。
いま、私たちのつかうコンピューター(PCとかサーバー)は、だいたいネットワークで繋がってる。繋がってるたくさんのコンピューターを仮想的にひとつのコンピューター(リソース)とみなして、それをクラウドと呼んでる。そのクラウドの中には、ひとつのパソコンでは実現不可能な巨大なアプリケーション(google や amazon, SkyDrive のようにネットを介して使うもの)が動いてる。
私たちはコンピューターという物体を起動し、仮想的なクラウドを作って、アプリを使ってると思ってるけど、もしも巨大アプリケーションが自意識を持っていて、逆に私たちを使って自分自身を立ち上げさせてる(文字通りブートストラップしている)としたら……?
このPCを人間の脳、クラウドを人間の集合意識、アプリを、人間の集合意識上の「神」という生物に言い換えると、この映画の基本構造になる。
うーん、よけいまわりくどい例えかたか。