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farsite / 圏外日誌

Gaaoline's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

海外ドラマ:Law&Order 10‐24話『正義の行方』

Law&Order 第10シーズンのフィナーレは、まさに10年ぶんの法廷劇を締めくくる大演説で幕を閉じた。今回で降板となるシフ検事も、マッコイ検事補を力強く支援し、有終の美を飾っている。

 

戦争を殺人として裁けるのか?

アメリカ合衆国にとって、南米諸国は、中東やベトナムと同じように歴史のすねの傷となっている。米国の反共工作は結果的に南米の独裁政権を支援する形となり、多くの人命が失われた。今回のエピソードは、チリ革命当時の事件を扱う。

革命当時、米国滞在中のチリ将校から発せられた反体制派の虐殺指令により、チリ滞在中の米国人が殺されていたことが発覚する。将校は現在大臣となり、奇しくも米国に滞在中であったため、マッコイたち地方検事局は米国内の犯罪として彼を裁こうとする。

刑事免責のある他国の大臣を国内で裁くことが許されれば、当然ながら米国の政府関係者も旧敵対国への訪問時に訴えられ、敗訴する可能性がでてくる。国際関係の混乱を憂慮した連邦政府はチリの弁護に回り、連邦最高裁での裁判がはじまる。

 

殺人を裁くことは、人類共通の倫理である

クライマックスの法廷で、9人の連邦判事に対し、マッコイの熱弁がふるわれる。字幕翻訳をもとに、原語を拾ってもうすこし口語らしく訳してみた。(原語で聞き取れなかった部分はゴマカシで……)

 

「人には、絶対に守られるべき権利がある。その基本となるのが、生存権です。我が国の憲法にも国連憲章にも、その権利が記されています。人の命を奪うことは、建国当時の古文書にも、あらゆる国の法にも、それを禁ずると書かれてきた。殺人を犯せば、そこがブルックリン、サンチアゴルワンダコソボであっても、“法”で与えられる限りの処罰が下されるのです。そうでなければ、生存権はただの空約束になってしまう」

「ですがマッコイさん、あなたが司法権の穴を突き、起訴を推し進めたのは、その“法”の力を奪う行為ではなくて?」

「むしろ逆だと考えています。起訴をためらうことこそ、悪しき行いであると。建国の父たちは、いのちを、絶対の権利だと認めました。その権利を守ることが“法”の意義なのですから、解釈は広く求められるべきです」

「上訴人の主張にはどう答えます? もし有罪となれば、パンドラの箱を開くことになり、外交政策の妨げになると」

「国の指導者であっても、犯罪者として裁かれることはあります。我が国の大統領が海兵隊をパナマに送り、麻薬密売の罪でノリエガ将軍を逮捕したこともありました。本裁判の結果、国の指導者たちが、他国の子供たちの上にナパーム弾を落とすのをためらうようになるのなら、それでいいではありませんか。

殺人罪は、あらゆる人に、適用される。犯人が誰か、被害者が誰か、どの国で犯罪が行われたかも関係ない。殺人に対する道徳律にだけは、国家や、人種や、宗教の違いはないのです。例外はどこにもありません。法はひとつ、ただひとつです。

その法が破られるなら、あらゆる国のあらゆる検察官に、立ち上がり法を守る義務がある。持ちうる限りの知恵と力を持って、犯罪者に立ち向かう。なぜなら、人には、守るべき絶対の権利があるからです。絶対の権利が。以上です」

 

 

10年間、約240話にわたり殺人事件を放送してきた Law&Order はここで、殺人とは、また殺人を裁くこととは何かを、改めて突き詰め、提示してくれた。

エピソードは、マッコイたちに判決を告げに来る法吏の足音で終わる。結末は視聴者にゆだねられている。

 

1点、すこしだけ注文をつけるならば、最後の余韻はあと3秒、ほしかった。