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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

国立新美術館 アーティスト・ファイル2013 - 現代の作家たち

春分の日。サクラも咲きだしたので、今まで訪れたことのなかった国立新美術館あたりを散歩することにした。

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副都心線北参道駅で降りて、青山霊園を通って美術館に向かう。自分でも意外だけれど、霊園を歩くのもはじめて。空の広い丘、咲きだしたサクラやハクモクレンの向こうに、六本木の高層ビルが見える。青いオナガが群れをなして飛び回っている。この鳥も、東京で見るのははじめて。

国立新美術館では、特設で『アーティスト・ファイル2013』をやっていた。現代芸術家のお披露目展みたいなものだと思うんだけれど、これが入ったら存外に面白かった。

チョン・ヨンドゥは2つの画面をつかったビデオ作品で、いっぽうで韓国の老人たちのインタビューを見せながら、もういっぽうで彼ら彼女らの語る過去の情景を舞台に作成していく過程を見せる。どんな情景ができるのかというワクワク感もあるけれど、老人話がユーモアに富んでいてとても面白い。ばあさんが日帝時代末期から朝鮮戦争のものすごく悲惨な時期を、すっごく笑える話として聞かせる。隣の家から戻ってきたら、のこした病気の子のいる家にトラのしっぽが見える。青ざめて伺ったら、トラではなく飼い犬が子供の下痢便を食べようと家に上がり込んでいただけだった、とか。そんな小話を聞かせながら完成するアートも、はっとさせるギミックがあり感心する。

利部志保はだだっぴろい白い部屋にどうでもいい小物(ゆがんだハンガーやら、糸くずやら、ペットボトル)を置いたり吊り下げたりしている。観客はその中を歩いてみるのだけれど、まるで夢の中を歩いている感じ。子供のころ円谷プロの特撮でたまに出てくる不思議空間そのものだ。あれも確かに芸術だったのだなあと、今になって強く感じる。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     

國安孝昌は、丸太やレンガを積み上げものすごく大きな構造物を作り上げる。ブロックをどこまでもどこまでも積み上げてみたいという衝動をそのまま実行して、その過程で、いつのまにか複雑な構造ができあがっていくような感覚。意味のないはずのものが、いつのまにか意味のある形を得ていく。それが本物の質量を伴っている。

ダレン・アーモンドも、ナリニ・マラニも部屋いっぱいを使い、動画と音の空間を見せる。アーモンドが見せるのは祖母の記憶。いっぽうでゆっくりと移り変わる祖母の顔が、いっぽうで祖母の記憶の光景が、お互いを反射するように映し出される。マラニは中心に轟音を立てて回る巨大な幻燈を置き、四面の壁に映された女性の動画に、その幻燈の絵が重なって見える。幻燈の真下に立つと、異様な空間に包まれる。

美術館も博物館も、年に1度行くか行かないかだけれど、見るたびに、その感じ方、とらえ方が、自分の中でかわっているように思える。昔はこういうモダンアートを、あまり感心して見ていなかったのではないかと思う。ところが今は、ものすごく説得力のあるものに感じる。

感動とは、自分のなかで説明がつくことだと思う。歳を取るごとに蓄えられる知見が、こういうあやふやな芸術をより明晰なものにするのかもしれない。それは言い換えれば、若いころの直感を失っていくということなのかもしれない。けれど、新しい知見と新しい感動があることは確かだ。すごく充実した気分で見学できた。

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ハクモクレン

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こちらはウチの近所のカワヅザクラ。