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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

夢は「見る」ものなのかというはなし

けさ(というか昨夜、寝入ってすぐに)見た夢が久々にひどかった。夢のなかで自分が夢を見ていると気付き、目を覚ますが、それも夢だったという、まさに漫画によくあるタイプの悪夢。あるいは映画『インセプション』。

こういう夢は過去も見たことがあったけれど、今回はすごくクリアに、朝になっても覚えていた。なかなかの衝撃度だ。

夢のなかの夢で、自分は犬とともに旧い祖父母の家の中にいるのだが、その環境はどんどん説明のつかない矛盾した状態となっていく。そこではたと夢だと気付いて、夢の夢から目が覚めると、そこは祖父母の家の庭。

ああ良かったという安堵とともに自分の家に戻り、犬をなでて両親と会話するのだが、そこも次第に矛盾が拡大し始め、状況についていけず右往左往し始める。そして何の前触れもなく、本当に目が覚めた。

 

自分が本当に目覚めたと悟ったのは、その部屋が眠る前の部屋と同じだったことと、ストレスで固く握られた布団の手触り、そして自分の体がベッドに沈み込む重力だった。

思い出してみると、夢のなかの夢から目覚めた時、目覚めたと(偽りの)認識をできたのは、視覚情報からだった。「夢から目覚める直前に2,3度感じた光は、まぶたを通して見える街灯の光だったんだな」と夢の中で思ったのをはっきり覚えてる。

そんなものはもちろん、夢の中で脳の働きが作ったニセの記憶なのだけれど、それが手触りや重力の感覚で無いというのが面白い。視覚だけなんだ。

 

夢はやっぱり、「見る」ものなんだろうか? 触覚や嗅覚でなく、視覚優先なんだろうか?

ところが外国語だと、夢は意外と「見る」ものじゃない。英語では dream はそのものが動詞だし、ふつうに言えば "Have a dream"(強いて訳せば夢を得る)だ。"See a dream" とは聞いたことがない。中国語もふつう "做夢"(夢をする)。あれほど文法や単語の使いまわしが日本語と似ている韓国語も、夢は "꿈을 꾼다"(クムル クダ=夢を夢る)。

すると外国人は、夢とは「見る」ものと認識していない、現実と同じく、五感で経験するものだと認識しているんだろうか?

 

科学的なことなーんも調べずに書くけど、ひょっとして、日本語の「夢を見る」という表現に対する認識、高次の脳の働きが、夢の中の世界での視覚優先という状態を作ったのだろうか? ことばが、夢の世界を規定していたのだろうか?

いや、そんな言語至上主義みたいなのは、にわかには受け入れがたいけど、ちょっと夢がある。

 

ともあれ、そんな夢から覚めた後も、断続的にリアルな夢は何度も続き、何度も起きて朝を迎えた。ものすごく疲れた夜だった。