国立新美術館の企画展『18th DOMANI・明日展』に行ってきた。文化庁の『新進芸術家海外研修制度』の成果物の展示会。
ここ3年ぐらい、新美術館の若手芸術家展に行っている。ふと行こうと思うとたまたまやっているから、という程度のものだけれど、毎回とても楽しめる。現代のアートだから、絵画だとか彫刻だとかという古典的な枠組みはすでに融和崩壊していて、その作家それぞれがユニークな媒体と手法で、自身のテーマを表現している。驚きに満ちていて、なぜそうなのかを考えるのが楽しい。
むかし、アートギャラリーに勤めていた友人の言った言葉を、常々と思い出す。「アートは、なぜ美しいのか、なぜ面白いのか、その表現が芸術の歴史の中でどういう位置づけなのか、それが説明できなければならない」
ぼんやりと「美しいものは美しいから美しいのだ」みたいな子供じみた思いを心の奥に持っていたから、打たれたような感覚があった。
なぜ美しいのか。それを理解しなければならない。そして、「なぜ美しいのか」が説明できるから、美しいのだ。
自然と違って、人のおこないにはすべて意思、意図がある。指一本曲げるにも、意思や意図が必ずある。なにかを表現するとき、たとえば「意味なく描いた」といえば、そこに意味がないという意図が発生する。それが人を人たらしめているものだし、それを知ることが、芸術を鑑賞することなんだと感じる。
現代アート展は手法が豊かだから、それがなぜつくられたのか、なぜ美しいのか、それを考えることが、ことさらにおもしろい。
日々湯水のように観ている海外ドラマも同じだ。作品には、脚本、演技、美術、その画面の片隅に至るまで意図がある。なぜドラマは面白いのか、なぜ感動できるのか。それを考えるのが面白くて、ずっと観ている。