亡命イラン人作家モフセン・ マフマルバフがジョージア(グルジア)で撮影した、その名のとおり独裁者とその孫を主人公にしたロードムービー。一種の地獄めぐりで、視聴者は彼らとともに、辛い現実を何度も目撃することになる。
あらすじ
とある国。富を謳歌していた大統領は、突然のクーデターによって孫とふたり逃亡の身となる。そこで見たのは、貧しき国の実情と、政変によって暴虐に走る軍人たちの姿だった。
感想
出だしの描写は出色だった。突然のクーデターの始まった夜の静寂と、花火のような砲弾の閃き、そして市内を走り回る大統領専用車の中から見える暴動の様子は、確かなリアリティを感じる。角を曲がるたびにデモ隊と警官隊の群れが交互に現れ、窓の向こうで投石と銃撃がはじまる。まさにその現場にいるような、立体的な描写は初めての感覚だった。そして、辛い逃亡劇が始まる。
長い逃亡劇での問題は、どこに感情移入してよいのか分からなかったことだ。孫は無邪気で可愛いし、悲惨な逃亡を続けつつその孫を守る、一人の人間としての大統領にも共感してしまう。ところが次々と描写される、圧制や政変の被害者たち……ひどい目(見るのが辛いほどひどい目!)に遭う庶民のことを思うと、為政者たる大統領に激しい苛立ちを感じるのも確か。感情の持ちようも立体的になって、混乱してしまう。
おそらくこの矛盾した気持ちを与えることが監督の目的だったのかもしれない。同じようなセリフが繰り返され、冗長とも感じる旅と惨事の描写も、苛立ちを募らせる。とってつけたような結末は説教臭くも感じるけど、それは、自分がこういった政変とは縁遠い場所からこの映画を眺めているからなんだろう。
大統領のモデルとなったと思しきフセイン大統領の最後はいうに及ばず、中東地域、そしてジョージア周辺の旧ソ連国家でも、流血の政変はあったし、また起こり得るという危機感がある。そこに住む人々にとって、この映画はよほどアクチュアルな、意義のある映画であったのだと想像できる。そんな彼らへの共感を、果たして自分は、この映画を通して持ちえたのか。悩ましい映画だった。
追記
シネマトリビューンの監督インタビューを読んだら、なるほどその通りだと思うことだらけだった。
アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ
- 作者: モフセンマフマルバフ,Mohsen Makhmalbaf,武井みゆき,渡部良子
- 出版社/メーカー: 現代企画室
- 発売日: 2001/11
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