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映画『ある決闘 - セントヘレナの掟』 - それは神話か、という話

一癖あると聞いて観に行った西部劇『ある決闘 - セントヘレナの掟』、なるほどちょっと毛色が違った。物語の大枠は連続殺人の潜入捜査、描き出すのは神話の誕生。

あらすじ

19世紀末、南北戦争の混乱が尾を引く米国テキサス州で、リオ・グランデ川に多数のメキシコ人の他殺体が流れ着くという事件が発生する。事態を重く見たテキサス州知事は、ひとりのレンジャーを潜入捜査員としてリオ・グランデ上流の町に派遣、犯人と目される町の支配者「宣教師」の調査を命じる。

しかし、彼と宣教師には浅からぬ因縁があった。彼の父親はかつて、宣教師に決闘を挑み、殺されていたのだ……。

感想

f:id:debabocho:20170624205301j:plain何と言ってもこの宣教師の存在感! ものすごい。禿頭碧眼で目の上に入れ墨を入れた、荒木飛呂彦の漫画から出てきたような濃いキャラだ。むしろいつスタンドを出してもおかしくないぐらい、スーパーナチュラルな不穏さで満ちている。

この世から半歩ズレてしまったような不穏さは、冒頭レンジャーが町に向かうあたりからひたりひたりと増していくんだけれど、宣教師と会ってからはもう完全に不穏さに飲み込まれる。「北部の教養ある人間が南部の知らない町で怖い目に合う」っていう典型的なアメリカ都市伝説の雰囲気だ。宣教師は怪しげな力で町の人々をマインドコントロールしており、かつ俗悪。そこはもうフォークロア空間だ。

で、観ていてはたと思った。ひょっとしてこの映画、後半本当に超自然現象的な、悪魔との対峙とか魔界からの脱出とかのストーリーに転がり込むつもりでは? まさかのVFXもりもりで。

 

あいにくというか幸いというか、そうはならないあった。あくまでこれは西部劇、決闘と銃撃戦のある西部劇だ。

ただ、その決闘を経て、物語の正体は明らかになる。これはフォークロア的な恐怖に巻き込まれた男の物語じゃない。フォークロアを作る男の物語なんだ。つまるところ、神話の誕生と言ってもいいんじゃなかろうか。

 

主人公の敵対者である宣教師は、物語が進むにつれ、単なる敵キャラクターではなく、物語のゴール、主人公の内的な欲求そのものにも等しい、別種の存在であることが明確になっていく。それはレンジャーが乗り越えるべき「悪」であり、取り戻すべき「父性」でもある。

かつて彼の父親が「宣教師」になる前の男との決闘に敗れたとき、子供の彼は宣教師と目線をかわし、その瞬間何かが分かれた。子供は知性と正義を分け与えられたレンジャーになった。男はその残り、悪と混沌を分け与えられ、同時に本物の父親を力でしのぐことによって、彼の父性をも引き継いだ。つまるところ、宣教師はレンジャーにとって「悪」と「父性」の混合物だ。

レンジャーがその存在と再会したとき、彼は直視を避けようとするも、結局は引きつけられる。宣教師は失われた邪悪な半身であり、同時に父親でもあるからだ。その宣教師も、邪悪さゆえに手に入れられなかった「愛」をレンジャーから奪おうとする。この愛をめぐる流れは、じつに象徴的で神話らしい。

 

そしてクライマックス、レンジャーと宣教師は、対立の中で無意識に融合をはじめる。ライフル銃による遠隔地からの狙撃戦から、ピストルレンジの銃撃戦、そして手と手の触れ合うレンジに。この対決は凄まじい見ごたえだ。様式美的なカッコ良さではない、戦う者の息遣いが感じられるバトルは、西部劇としての面目躍如だ。

引かれ合いながらも、決して平等に溶け合うことのできないレンジャーと宣教師。その極限の戦いは、聖母の名を持つ者が現れ、遂に幕を降ろす。レンジャーは奪われた愛によって世俗に生きる理由を失うが、代償として、父親を知ると同時にそれを乗り越え、完全な自分を取り戻す。彼は人知れず、神話的な存在となったのだ。そして彼は、森の中に消えていく……。

 

西部劇にモダンな潜入捜査ミステリーをかけあわせたのかと思いきや、映画は意外なところに着地してしまった。もちろん映画の構造はしっかり現代のエンタメ劇になってるし、アクションはすごい。でもそれ以上の不思議な手触りが、この映画にはある。

確かに、マトモに考えれば、プロットが着地というより拡散して消えてしまったように見える点もある。でも同時に、これはそうでなければならないんだという強い納得感もある。

 

不思議だけれど、納得感のある物語だった。なんでそう感じるんだろう。神話はすべての物語の原点だからか、などとテキトーなことを言っておく。

余談

ひとつ難点を言うと、主役2名以外の演技が、もう少し良かったらと思うんだけど、まあそこは全体のバランスをとるうえでの判断だったのかな、とも思う。