『コングレス 未来学会議』は、原作の『泰平ヨンの未来学会議』を驚くほど忠実に映画化している。主人公は独り者の宇宙飛行士、泰平氏から、女優ロビン・ライト(本人役!)に変えられているし、ほぼ全編アニメーションになっているけれど、レムの描いた世界のニュアンス、そしてテーマをきっちり拾ってる。その結末は原作とはある意味正反対だけれど、その軸となっている部分がブレてないから、物語はとりとめもない展開なのに、すごく腑に落ちるのだ。その軸ってのは、たぶんすごく根源的な、「自由意志とはなにか」みたいなものだと思う。
自分がじぶんでいられない世界
原作は、いま読み返すと『マトリックス』や『インセプション』の原点(のひとつ)みたいな物語だ。コンピューターやバーチャルリアリティーが普及する前の小説だから、向精神薬の複雑な効果によって、現実を上書きする虚構世界を表現している。ドラッグを吸ってしまった泰平氏は、意志に反して、自分がじぶんでいられなくなる体験を繰り返し、幻覚のすえ未来世界にたどり着く。
その世界は、ドラッグへの批判を超え、極端な消費主義、権威主義への批判になっている。完成された安全で豊かで幸せな社会で、人は与えられた知識や感情を単なる化学物質として消費し、個の意思で何かをなすということをしない全体主義的な世界を是としてしまった。
レムは、泰平氏を幻想のユートピアから現実の世界(と見えるもの)に引き戻すことで、ユートピアの実態を、まじまじと見せつける。この視点の転換前後のドライブ感はすごい。序盤から重ねられてきた不条理描写が決壊して、最後の最後、虚無感に満ちた笑いが残る。すべて満ち足りて幸福だと思いこみ、自由意志を放棄してしまった世界はとてもおぞましく、思い返してみれば可笑しい。
女優「ロビン・ライト」の存在
こうやって見ると、映画版のプロットも批判性も、化学薬品をIT技術による仮想現実に置き換えただけで、原作とほとんどおなじだ。理性的な判断能力を奪うサイケデリックなアニメーション世界は、自分がじぶんでいられなくなるぼんやりとした怖さを、的確に表現していると思う。
ただ小説と違うのは、映画というアートには、自らの意思を持つ“役者”がいることだ。その比喩として、ロビン・ライトという実名女優が登場する。
泰平ヨンというある意味茫洋とした小説キャラでなく、現実の存在であるロビン・ライトは、虚構の映画のなかで自分の意思で物語を作っていく。ぼんやりと境目のない仮想世界のなかにあっても、彼女は息子を探し出すという意思を明確にし、身近なものを思うことで、同時に自らの存在を明確にしようとする。
彼女が現実の世界(と見えるもの)に引き戻るシーンは、これも圧巻だ。原作と同じとわかっていても、いや、わかっていたからこそ、その視覚的なインパクトは胸を突くものがある。ボロをまとい虚空を見あげる人々の目。その寒々しい光景ときたら!
そして、映画でロビン・ライトは最後の決断をする。原作で「たまたま薬品を鼻に近づけてしまって」現実の世界に戻ってきた泰平氏とは異なり、彼女は明確な意思で選択をする。真実の世界だとか、虚構の世界だとか、そういう表面的な善悪にとらわれず、彼女は想いをまっとうするため、世界を選択する。
レムの感触
映画で描かれる彼女の結末は、泰平氏の結末とは全く異なる。だが、示されたテーマと、虚無感に奇妙な充足感の混じった感覚は、まったく同質のものだ。
自由意志ってなんだろう。ある意味、薬を鼻につけるような偶然の選択とさして変わらないし、幸福や正義や真実を得られる素晴らしいものでもない。自由意志はなんのためにあるんだろう? その価値を本当の意味で得ることは、できないのではないか。
この感触は、レムの『惑星ソラリス』や他のハードSF作品に感じた「理解できないことを理解する」というテーマにも似ている。そう感じられて、アリ・フォルマン監督の本作は、たしかに、スタニスワフ・レムの映画だと思った。
余談
10年ぐらい前、映画の原作者であるスタニスワム・レムの絶版小説(当時はそうだった)を新川の古本屋で見つけたときのことは、鮮明に覚えている。『惑星ソラリス』以外のレムが読めるのは本当に嬉しかったし、『泰平ヨン』シリーズや『ロボット物語』シリーズで見せるナンセンスな笑いは大好きだった。(こう書くと両者のファンに馬鹿にされそうだけど)『銀河ヒッチハイクガイド』シリーズと双璧をなすギャグSFだと思っているし、笑いの奥底に見える虚無感も、共通していると思う。
もうひとつ、『ハウス・オブ・カード』でロビン・ライトの魅力に取りつかれた身としては、今回の映画はとっても嬉しい。ライトはこの映画でも、ドライでどこか達観したような雰囲気を十分に見せてくれる。
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