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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

ゴースト・イン・ザ・シェル - 必要だったのは美術でなく情報という話

攻殻機動隊』の映画版。カットカットではすごく「らしい」絵が見られるのに、全体を通して、何でこんなぼんやりとした印象なんだろう。思い至ったのは、美術のディレクションだ。

優秀なアーティストによって過剰なまでに装飾された近未来都市やサイバースペース。でもそこからは、『攻殻機動隊』を『攻殻機動隊』たらしめる、トリビアルな情報が伝わってこないのだ。映画の世界が、「なぜそうなったのか」が伝わってこない。リアルじゃないんだ。

あらすじ

家出少女が自分探しする。

感想f:id:debabocho:20170419144405j:plain

いやほんと、物語はどうでもいいんだ。テーマもどうでもいい。どうでもいいっていっちゃ悪いけど、ありがちなテーマも、なんだかしっくりこない物語の運びも、アニメ版にだっておおもとの漫画にだってあったわけ。

でも、その背景となる世界に関して言えば、原作漫画はもとより、複数のアニメ・TVシリーズとも(『イノセンス』であっても)、それは単なる「近未来」ではなく、トリビアの塊のようなものだった。複数の世界大戦やその後の政治状況、科学技術の発展は、年表ができる程度に現代から敷衍されたもので、義体サイバースペース、コンピューティング技術だけでなく、政治体制や兵器、航空機、民間文化、交通機関や建築に至るまで、「なぜそうなったのか」が想像できるものだった。

ところがこの映画にはそれがない。舞台は日本とも香港とも知れぬ謎の「国」。ビルを覆うような巨大な3D広告も、アジアの都市の過剰広告をモデルにしたものだろうが、あくまで映画の画面の背景としてインパクトが出るようにしたもので、根本的なリアリティがない。行き交う人々の特殊メイクも同様で、華美で奇妙なだけだ。あの巨大3D広告に本当に広告効果はあるのか? なぜあんなメイクが常態化するに至ったんだろう? 世界に統一感がない。見て想像する手がかりが、あまりに小さい。

 

美術の作り方が、とても美術的なんだ。アジア都市の綿密な取材で得られたエキゾチシズムと未来の手触りを純粋に増幅させ、美しく見えることに固執したように思える。社会学的・技術的に「なぜそのような都市、そのような社会となったか、それが進化するとどうなるのか」という発想が見えない。それじゃあ表面的だ。

おかげで物語やテーマまで、空虚で上滑りなものに見えてしまう。緻密に作られた世界の中でこそ、ゴーストに突き動かされた運命の出会いは成立する。ソリッドでない舞台の上では、それは単なるご都合主義だ。

WETA社の人材をふんだんに使って、大隊規模の人員でVFXやメイクの見本市みたいな画面を作るんなら、体に線引いただけに見える義体のパーツの分かれ目を立体的に描くとか、そっちの方面に使ってくれればよかったのに。

 

SF作品は「世界」がしっかり作られていれば、そこで何をやっても面白くできる。いや自動的に面白くなるとは言わないけど。一方世界設定がロジカルでないと、中途半端な近未来ファンタジーにしかならない。だってSFって、外挿的なものでしょう。映画を観終わって、そんな当たり前のことを感じている。