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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

ナイトクローラー: 悪魔はどこに棲むのかという映画

『ナイトクローラー』は、『ゴーン・ガール』のようにサイコパスを主人公に据えた一種のピカレスク映画だけれど、この作品はテーマをもう少し進めて、現代における悪魔の実在を描いているのだと思う。そう思わせる表現が各所にあり、観終わってみると、この世界で悪魔がどのように発生し、どこに生息し、どう人を騙し陥れていくのかが実感できる。悪魔は人の倫理の外にいる。

あらすじ

ロサンゼルスでコソ泥をしていた男、ルー・ブルームは、ひょんなことからフリーの報道カメラマンという働き方を知る。その行動力とタガの外れた倫理感とで次々とスクープ映像をモノにしていくルー。売れる映像を撮るためなら不正も厭わない彼は、アシスタントのリックや報道ディレクターのニナを手玉にとり、より大きな惨劇を求めようとするが……。

感想

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ジェイク・ジレンホールが演じる主人公、ルーは、一目でサイコパスと判る造形だ。彼のぬめっとした存在感は素晴らしい。彼は息をするように窃盗を働き、時に暴力を振るう。高い学歴もなく定職に就いたこともない、社会に順応できない人間であることが語られている。そんな彼が、ネットのビジネス講座で習得してしまった論理と話術を使い、彼の悪魔たる本性を開花させていく。

まるでどこかのビジネス書の丸写しのようなルーのトークは爆笑ものだけど、彼はそれをどんどん畳みかけて、周りの人間をよくわからないまま納得させ、感動させてしまう。“高い目標”のためなら、倫理を超えた行動も許容されてしまうのだ。

人の命よりもスクープを優先し、驚異的な交渉術で相手の優位に立ち、次々と成功を得ていくルー。その行動原理には一貫性がある。ビジネス書に書かれている崇高な理論(少なくとも書いた本人はそう思ってるだろう)も、ほんの少しだけタガを外しただけで、悪魔の論理となってしまうのだ。彼が眉一つ動かさず語るロジックに、笑いながらも薄ら寒さを感じてしまう。

繰り出される話術で騙されてきたアシスタントのリックは、クライマックスの直前、ルーに賃上げの取引を求める。しかしそれは、リックの想像を超える形で潰えてしまう。それは、悪魔と取引しようとしたものに待ち受ける運命だ。そして最後、ルーはその悪魔たる本性を、画面の向こうから我々に語りかける。悪魔はテレビの向こうにいる。夜の街をうごめき、人の死の身近に立つ。我々が人の不幸を興味本位でのぞき込むとき、悪魔はこちらをのぞき込んでいるのだと。

しかし、テレビの中の世界もまた、人間の世界なのだ。テレビをのぞき込む我々自身と、テレビの向こうの悪魔とを分かつものは、あるのだろうか? そんなことを問いかける映画だった。

 

もうひとつ。ルーがスクープを撮るためにとるアクションのスリリングさ、緊張感の連続でおこるドライブ感も映画のキモだ。特に終盤のカーチェイスは最高! あまりファンタジーになりすぎないよう抑制されたアクションだけれど、最後の最後にルーの車が事故った2台の車をすり抜けて停まるシーンは思わず吹き出してしまった。

 

ハーバード流交渉術 (知的生きかた文庫)

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