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farsite / 圏外日誌

Gaaoline's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

ズートピア - 動物アニメの超変化球。差別と社会、政治を描くSF映画

様々な動物たちが入り乱れて楽し気な『ズートピア』。ふたを開けてみたらこの映画、ものすっごい変化球だった! 犯罪捜査ミステリから、なんとハードな差別問題を描き出す。そしてこれ、れっきとしたSF、思考実験としてのSFなのだ。

なにがSFって、そもそもほとんどの動物アニメで不文律だった「肉食獣も草食獣も仲良く暮らしている」という世界観に思い切りメスを入れたところ。その理由を「進化・文明の発展の結果、食物連鎖が解消された」と説明し(科学的正確さでなく、「ロジックがある」ことが重要だ)、さらにそこに2段目の「もしも」を設定する。

もしも、草食獣と肉食獣の共存関係が崩れたら……? その結果描かれるのは、社会に渦巻く偏見と差別だ。

物語の背後から現れる、偏見と差別

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映画の中で、警官ウサギのジュディと相棒のキツネのニックは、「ウサギだから非力」「キツネだから狡猾」という偏見や、偏見が負わせた心の傷と闘いながら、連続失踪事件を追い、個人の「なんにでもなれる」という夢をかなえていく。実にアメリカらしい、ものすごくポジティブな自己実現の物語、のはずだった。

ところが物語の終盤、この筋書きはいっきに崩れ去り、真のテーマ、真の恐怖が顔を出す。これまで個人の偏見克服の物語だったものが、社会のなかの偏見・差別の物語へと変化してしまう。

真実を暴いた結果、これまで弱者のはずだったジュディたち草食獣が、数の上では肉食獣を凌駕するために、肉食獣を偏見の目で見て、差別する側になってしまうのだ。

差別のプロセスを描き出す

少数の強者と多数の弱者による、差別と支配の構造の転換は、極端な例ではルワンダツチ族フツ族の対立を思い起こす。少数派だが支配階級だった狩猟部族ツチは、植民地支配の終焉とともに多数派の農耕部族フツに追いやられ、差別されていく。そう考えると、この映画は、ものすごくセンシティブな問題に手を突っ込んでる。

しかし、ここで描かれている問題は、現実のひとつの事例に偏ったものじゃない。ましてや、差別と逆差別、どっちもどっち論みたいな話でもない。問題は、偏見・差別がどう作り出されるか、という話だ。

映画の中で様々なかたちで表現されるのは、人種、性、容姿など、あらゆる差別に共通のプロセスだ。事実の断片が切り取られ、不用意な偏見、決めつけ、思い込みが増幅され、社会を不安定にさせる。そして、それから利益を得る悪が現れる。それこそが、ジュディたちが真に立ち向かうべき問題だったのだ。

そしてその解決策も、この映画で提示される。それは、真実を見極めること。「肉食獣は凶暴である」という表面的な事実=レッテルでなく、「なぜ凶暴なのか」を知ること。映画ではその結果として、「草食だろうが肉食だろうが、凶暴になる外的原因がある」という事実を知ることになり、そこが解決の糸口になる。

現実もおなじだ。

差別を描く危うさ、強さ

ぶっちゃけどんなかたちであれ、「差別」を描くことは、逆に差別に利されることがある。この映画だって強弁すれば、「力の強い男は女を差別しているといわれているが、実は男こそ差別されている側なのだ」という差別主義者のロジックに使われてしまう可能性がある。

だけど、自分が見る限り、この映画は実際に観る子供の視座がそこに行ってしまわないよう、ギリギリのところで踏みとどまっている感がある。おそらく学問レベルで差別表現の適正さをチェックしているんじゃなかろうか。

凄い話だ。いま、ここまで正面切って、子供に対して社会の差別問題を描いて見せる。そして、その解決方法は一人ひとりの真実を見極める目、そうする心の持ちようにある、と言い切って見せる。強い。この映画は、強い。

人種のサラダボウル

ニューヨークのことを、いまは人種のるつぼ(メルティング・ポット)とは呼ばず、人種のサラダボウルと言うのだと聞いたことがある。人種はどろどろに溶け合わなくていい。それぞれ個性を維持したまま、まじりあうから美しい、という意味だそうだ。

この映画は、動物という比喩を通して、なぜそれが理想なのか、なぜそうあるべきなのかを説いている。キリンからトガリネズミまで、大きさや生態も違うさまざまな動物が、それぞれ不便なく生きられる基盤を持ったユートピア。その違い、ダイバーシティを受け入れ、多様性を認め合って生きる自由があるからこそ、誰もが警官にも、政治家にも、マフィアにもなれる(まあ職業的なところはギャグとして目をつぶりましょうや)。

ありえないからこそユートピアだとは言うけれど、それを目指さなければ、なんにもならない。目指そう。そう説く力強い映画だった。

余談

この映画を観たのは日曜の渋谷、字幕版だった。そのためか、なんと観客の半数以上が外国人。劇場にライトが戻った時に、あらためて世界の多様性を感じることとなって、妙に感動してしまった。

で、外国人がたくさんだから館内でも盛大に笑いが起こることもあったんだけど、納得かないのが終盤で思い切り『ブレイキング・バッド』のパロディが出てきたとこ。ここ爆笑ポイントだろ! 誰もブレイキング・バッド観てないの!?

ユートピア (岩波文庫)

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