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マッドマックス 怒りのデスロード:一度でも精神を患ったことがあるなら、もう一度見るべき映画

マッドマックス 怒りのデスロード』はいろいろ驚きのある映画だったけれど、一番驚いたのは、女性の解放という物語の骨格でなく、主人公マックスのキャラクターだった。メル・ギブソン版マックスのマッドは「怒りでなにをしでかすかわからない」ぐらいの意味だったけれど、今回のトム・ハーディ版マックスは違う。文字通り、「臨床的に気が狂ってる」マックスだ。彼は精神病患者なのだ。

マックスはどう狂っているのか

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前評判では「喋らない」「目立たない」「主役はフュリオサ」と言われていたマックス。ところが実際映画が始まってみると、ウォーボーイズにあっさり捕まる彼の行動や表情は、「寡黙なヒーロー」と言うにはどこか違っていた。

ゲージに入れられたマックスの心ここにあらずという表情。敵車のフロントに縛り付けて命の危機にあるのに「俺のクルマ!」と叫ぶ執着心。口枷を外そうとコリコリコリコリとヤスリを削る反復運動。トム・ハーディの演技への違和感が、気付きを促してくる。彼の描くマックスのありようは、精神疾患を負った人間のものだ。

過去にトラウマを負って、フラッシュバックを経験するヒーローはたくさんいる。でも実際のトラウマはそれだけじゃない。PTSDは普段の思考や行動に影響を与える。他人とうまく会話ができなくなり、ふさぎこむ。かと思うと突飛な行動に出て、何かに執着し、落ち着きを失う。

そして、本人もその異常さがわかっているから、なんとかまともであろうと、自分と戦う(それは往々にして、自分を追い込んでしまうのだが)。

トム・ハーディの演技は、まさにこれだ。絶品のアクションシーンのなか、スプレンディドの活躍に何か言おうとして口をムズムズさせ、結局言えずにおずおずとサムズアップするマックス。ハーディの演技は繊細だ。気分障害でコミュニケーションが取れなくなった男の様子を、的確に表現している。マックスは、史上最もリアルな、精神病患者のヒーローなのだ。

ここで俄然、マックスに心奪われた。

心の檻から手を伸ばして

フュリオサたちとの3日間の逃避行の末、塩の湖、つまり干上がった海洋を目前に、マックスはそれを超えて行こうとする彼女らと袂を分かつ。彼は孤独を選んだ。コミュニケーション障害の彼には、女性たちとの160日の旅は恐ろしいものだったからだ。

だが、彼の感情は狂っていても、知性は劣っていない。彼の理性は感情に打ち勝ち、勇気を振り絞って、マックスは戻り、そして提案する。合理的な選択は、果ても見えぬ旅ではなく、敵に打ち勝って、目前にある緑の地を得ることだと。

よくぞ言ったマックス! がんばれマックス! がんばれ! がんばれ!

画面にくぎ付けになりながら、マックスへの応援がとめどなくあふれてくる。狂ってしまった自分の心をなんとか制御し、危機を乗り越え、他人のために戦おうとするマックス。そうすることで、自分もまた、生きる意味のある人間だという証を得ようとするマックス。もはや共感しかない。

完璧なヒーロー映画

そして終局。彼はことを成し遂げ、民衆の中に溶けるように消えていく。マックスは自分を特別な存在とせず、人々の一部、どこにでもいる存在と規定する。これほど理想的なヒーロー像はない。この完璧なエンディングで、涙があふれるのを止められなかった。

彼は、心を病む人々に、夢を与えてくれる。自分にだって存在価値はある。そしていつか、自分もなにかを、本来できたはずのなにかを、なしうることができる。

暴力と不公平に満ちた世の中で、虐げられた人々は立ち上がる。男に理不尽に支配された女性と、社会から疎外された精神病患者が巡り合い、自分たちを取り戻す。希望に満ちた素晴らしい映画だった。

SF映画として

もうひとつ。この映画のSF性にも感心した。荒野を走る狂気の自動車軍団を描くための核戦争後という設定だけれど、そこだけで終わらず、ちゃんとその外側……干上がった海という惑星規模のイマジネーションを絵で見せてくれた。

映画のターニングポイントで、女たちは夜空を見上げ、人工衛星とテレビ放送に思いを巡らせる。宇宙には、まだ昔の豊かな文明が残っているのかもしれないという想像。このシーンで、マックスの世界は一気に広がり、映画を観ている自分たちとつながる。これもまた、SFらしいセンス・オブ・ワンダーだと思う。