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farsite / 圏外日誌

Gaaoline's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

1999年12月31日の想いで

1999年の冬は北京にいた。大学の短期留学プログラムで、当地の名もない私立学院の、殺風景な寮に住んでいた。

2000年を迎える12月31日は、どうせ外出しても混むだけだろうしということで、友人たちもみな寮にいたのだけれど、夜中になって誰かが急に、花火を見に行こうと言い出した。

中国の新年といえば旧正月だ。でもこの年は別で、深夜、天安門で2000年を迎える盛大なイベントが行われるとテレビが言っていた。イベント会場の付近は規制されていたけれど、まあ規制の甘い中国のことだから潜り込めるかもしれない。できなくても、故宮の近くまで行けば花火ぐらい見えるだろうということで、日本人3人で連れ立って深夜の北京に出た。

寮は北京の北地区、北沙灘(べいしゃーたん)の小月河沿いにあった。オリンピックの開発前だから小汚いドブ川だった。そこから東西に延びる清華東路に出てバスかタクシーを捕まえるのが、いつも遊びにいくときのセオリーだった。だけど、ふだんなら深夜でもけっこう流れているタクシーが、やはりこの日は捕まらない。たしか学清路の交差点のあたりまで歩いても捕まらなかったのだと思う。

もう11時を過ぎていた。タクシーにさえ乗ることができれば、お城の北側の鼓楼ぐらいまではすぐに出られる。よく憶えていないけれど、ひとつ南の成府路まで出れば、ひょっとしたら捕まるかもしれないということになったんだと思う。

碁盤の目になった北京の街区はひとつひとつが広大だ。大通り沿いに行けば大回りになって、徒歩では20分、30分とかかる。そこで街区の中を突っ切って行くことになった。それがまずかった。道に迷った。

大陸の冬の、張り詰めたように冷たい空気。すすぼけた高層アパートの下の路地を、小走りで右往左往する。気がつくと、あたりにはひとっこひとりいなくなり、建物は真っ暗だった。区画の感じも変だ。どこかの敷地に迷い込んでしまったらしかった。そこで声をかけられた。

相手は同年代、向こうも3人の男女だった。そこは大学の構内だった。位置関係からして、北京言語大学だったのだと思う。当時は自分たちも多少は中国語ができたし、向こうもこちらが外国人だとわかって英語を混ぜてきた。Take ar Photor と言って、カメラを差し出してきた。

そこで気づいた。タイムアップだった。12時まであと数分。彼らの意図を理解した。2000年になる瞬間に、記念写真を撮ってほしいのだ。

中国語でサン・アー・イーと言ったのか、英語でThree Two Oneと言ったのかは覚えていない。ただ、みんなでカウントして、年が切り替わる瞬間、フラッシュに照らされた中国人3人がジャンプしている写真が撮れた。カメラを返し、お礼を言われ、お互いに A happy new year を言って別れた。花火は音すら聞こえなかった。

記念すべき年が切り替わる瞬間、北京の、どことも知れない大学で、見ず知らずの学生のために写真を撮る。そうして、私たちは2000年を迎えた。彼らの手には写真が残った。私たちには、思い出だけが残った。