復讐者グラスの宿命の物語。その凄まじさに魂を持ってかれながら、心のどこか別の場所では、これってまさに『スタートレック』の原型なんだな、と感じていた。いや復讐の物語がではなく、その土台にある「西部開拓」というシステムそのものが、だ。
舞台は19世紀前半、アメリカ北部の未開拓地域(南北ダコダ州)。グラスの所属するハンターグループは、純軍事組織ではないが階級や指揮系統を持っており、強固に作られた「砦」から長い狩猟任務に出る。彼らは途中の基地(アウトポスト)で補給を受けながら、探索し、猟をし、異部族と交易し、時に戦って、戻ってくる。
米国の西部開拓のありようも時代や地域によって異なるだろうけど、このタイプの「開拓」って、まさにスタートレックの宇宙開拓とおんなじだ。巨大な宇宙基地から発進する航宙艦は、未知の宇宙を探索し、惑星に置かれた前哨で補給を受け、異星人と交流し、時に戦って、長い航海を終え戻ってくる。
西部劇をそれほどたくさん観てこなかったから、よく「スタートレックは宇宙の幌馬車劇」とよく言われて、大枠的には理解できても、ディティールの部分でしっかりと腹落ちしていなかった。もちろん、TOSの『ゴリラの惑星』のような、幌馬車=シャトル、異星人=インディアン と分かりやすいものもあったけれど。
でも、この映画で描かれた白人の西部開拓のひとつのフォーマットを観て、なるほどこの構造を宇宙に持ち込んで、そこでドラマを作ったのかと、目からうろこが落ちた。この米国の歴史を推し進めた開拓組織の構造、そこで生まれたマインドが、スタートレック、宇宙開拓の基盤にあるんだなあと、改めて認識した。
もちろん、この映画で描かれる西部開拓者の素性は、とてもスタートレックのように善意と希望に満ちたものではないけれど。
余談というか本来の感想
レオナルド・ディカプリオ演じる復讐者グラスの生をつぶさに描いたこの映画、なんとなく思い出したのは『ツリー・オブ・ライフ』だ。
グラスの旅の随所で、様々な比喩表現が現れる。それは直接的な幻視もあるし、吐息、木漏れ日、烏、流星、水筒に刻まれた模様など、ときにキリスト教的な、ときにネイティブ・インディアン的な暗喩もある。
それらの表現の集積が、ハードボイルドな骨格を持ったこの復讐劇を、もう一段スケールの大きなもの、人生の宿命や意義についての感動を呼び起こすものにしているんだと思う。
そしてもうひとつ。これらの豊かな表現を実現した撮影、SFXとVFXだ。幻想的な表現だけでなく、リアルな自然、リアルな殺戮にも、ものすごい効果を上げている。
序盤の乱戦シーンで飛び交い突き刺さる矢や、斧、素手での人体欠損描写は鬼気迫るリアリティ。激流を流されるシーンも凄かった。そして熊! グリズリー! これはすごい羆嵐だ! あの本を読んだときの熊の恐ろしさが、いま本物になって目の前にある。まあこれだけでも、元は取ったんじゃなかろうか。