あらすじ
実話をもとにした物語。第二次大戦期にナチスの迫害から逃れ、オーストリアから米国に移住したマリア・アルトマンは、姉の死を契機にナチスに接収された叔母の肖像画を取り戻すことを決意する。しかし、それは今やオーストリアの至宝と呼ばれ、美術館に飾られる名画だった。
オーストリア政府がナチス没収資産の返還活動を始めたことからチャンスを得たマリアと弁護士シェーンベルクは、オーストリア政府に絵画の返還を求める。しかしオーストリア側も彼女の叔母自身が書いた遺言状を証拠に反論、問題は米国とオーストリアをまたぎ、法廷と調停の場で争われることとなる。
感想
正直、退屈さから始まった映画だった。老女の気まぐれとわがままをずっと聞かされ続けるのには(それに意味があるとしても)辟易したし、演技も撮影も安易だと感じちゃう。カットインされる過去のパートははっとさせられる描写もたくさんあったけれど、前半の盛り上げ場であるナチからの逃亡シーンなど、すごく迫力があったというわけじゃない。また、絵画が主題の映画なのに、肝心のその絵画が、きれいに撮れていない。全体的に描かれ方が軽いんだ。
ところが後半、法廷シーンが始まると、役者のセリフがカチっと決まりはじめ、そこではたと全貌に気づいた。ここまで散漫にかかれてきたマリアの現在と過去は、この「絵を取り戻す裁判」の重みを理解させるためのものだったんだ。この裁判の結末に、ひとりの人間の生きた証を重ねあわせているんだ。
それが判ると、ぐっと映画に集中できるようになる。こと最高裁のシーンは素晴らしくて、9人の判事が見下ろす法廷で交わされるユーモアを交えた人間的な会話には、人と法の関わりの面白さ、法に対する信頼や真摯さが感じられる。短いけれど、法廷劇としての面白さが詰まってる。
この映画には、オーストリア政府を一方的に悪役に描きすぎているという批判もあって、たしかにそう感じる部分もある。だがそれは良かれ悪かれ、作品の方向性を定めるうえで必要だったことなんだと思う。法廷「劇」としてクリアで充足感のある結末を作るのであれば、相手を明確に悪と描くのは、ひとつの手法として認められるべきだ。
それに、「不当に奪われた個人の所有物は、個人の手に戻すべき」という倫理、正義を、現実にオーストリアという国家自身が是とし、法と認めたならば、それに反する行いは、現実でも「正義ではない」。法が過去に遡及して適用されるべきかという問題は、映画で言われるとおり、人間の今と将来にかかわる問題なのだ。過去をなかったことにして未来に進むことはできない。それもまた、正しい倫理だと思う。
あるいはこの主人公となった女性が強欲だという批判があるのなら、人間の品性の良しあしで法の適用を変えるのか、という話になってしまう。弁護士が細かな法の抜け穴を利用したことや、女性が取り戻した絵を売却したことを問題視して、そのために、そもそもの正義が反故にされるのなら、法と正義に意味はない。
そういった意味で、この映画は筋を通した作品だと思う。
これはあくまで個人の人生・歴史に基づいた、正義の追及の物語だ。エンディングで、女性は絵をきっかけに自分の過去の世界に入りこみ、その記憶を取り戻していく。絵を取り戻すことは、自分の人生を取り戻すこと。不当な権力によって奪われた過去から、個人を解放すること。それこそがこの映画の見せた正義であり、エンディングはそれを端的に表した、感動的なものだった。