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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

国立新美術館『オルセー美術館展』 世田谷美術館『ジャポニズム展』、それに『宇宙×芸術』『日本SF展』

いつの間にやらヒグラシが鳴いて、2014年の夏も終わりそう。大学時代からの知人が亡くなったりと、息苦しいだけで何もない夏だったけれど、そんななか美術館にはちょこちょこと足を運んだのだった。

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国立新美術館 オルセー美術館

国立新美術館は所蔵品を持たない美術館。だから英語だと "Art Center" なんだけど、上野に比べてずいぶん敷居が低い……格式が低いのではなく、単に人混みが少ないので、けっこう利用している。千代田の線乃木坂駅に専用の出入り口があるので、小田急線沿線に住んでる人間にはとても便利。

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この夏やっていたのはオルセー美術館の所蔵品展で、お題は『印象派の誕生』。18世紀後半の、時代も作家もかなり絞った展示だった。実際10年ぐらいのスパンで多数の絵が出てる。ずいぶんなブームだったんだろう。

歴史画、肖像画、風景画(何気ない風景を描くことが新しかった)とバリエーション豊かな展示だったけれど、やはり表題作になっているマネの『笛を吹く少年』は、格別に目を引いた。濃淡のない赤と黒は強烈だ。肖像画にはどっちかといえば写実的だよなあと思えるものも多かったけれど、プロはどの辺でジャンルの線引きしているんだろうか?

個人的に面白かったのは裸体。ルフェーブルやカバネルの女性の裸体は、おっぱいに対する執念がすごい。ルフェーブルの『真理』は、真円のおっぱいに何かを見出しちゃったんだろう、ご丁寧に女性が手に掲げる真理の象徴たる丸鏡とちょうど同じサイズだ。カバネルの『ヴィーナスの誕生』(ルネッサンス期のやつじゃないよ)なんか、表情もエロそのもの。これナポレオン3世が国庫でお買い上げしたそうで、それはそれで豪気な話だ。

裸体は男性もあって、モローの『イアソンとメディア』は、局部をプレゼント包みしてセルフィー撮ってるみたい。

比較的混まないと言っても、やはり最初はうぇっとなる感じで絵の周りに行列ができているんだけど、まあ慣れればどうってことなくなる。帰りにミッドタウンのゴジラも満喫して、いい昼下がりが過ごせた。

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世田谷美術館 ボストン美術館

実はオルセー美術館展と微妙にリンクしているのが、こちらの『華麗なるジャポニズム』展。だってジャポニズムブームと印象派の誕生って、時代も場所もほとんど同じなんだもの。

だから展示されている画家も、かなりカブってる。メインのモネ『ラ・ジャポネーズ』を観れば一目瞭然。お師匠筋にあたるマネの『笛を吹く少年』から引き継がれた、絵に対する取り組みが見て取れる。ただこの絵、ものすごく大きくて、それもあって赤と金のキモノの迫力には圧倒された。

コアの絵画展示はかぶっているけれど、ジャポニズム展の展示範囲はさすがにもう少し幅広い。小品だったけれど目にとまったのは、ヘレン・ハイドという作家のものだった(Pinterest - Helen Hyde)。この人、日本に移住して、当時の版画家から技法を直接習ったのだそうだ。だから西洋の技法をベースに、版画的なシンプルなラインで描かれた商業画が残されてる。これって現代の日本の漫画と、そっくりな印象を受ける。

絵画以外にも、日本の刀や彫刻の影響がある工芸品などが展示されていて、区の美術館にしてはとてもお得感のある展示会だった。

帰りは三軒茶屋から世田谷線に乗って。夏場の世田谷線は、あいかわらず草がぼうぼう。もう草原を走ってるみたいだ。

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そのほか

実は、東京都現代美術館と、世田谷文学館にも足を延ばしている。もちろんそれぞれ規模も方向性も大きく違う展覧会だけれど、どちらも少々、腑に落ちないものだった。

東京都現代美術館 『宇宙x芸術 コスモロジーを超えて』

モダン・アートの発表の場だけに体験型の芸術が多いんだけど、今回いまいち、あっ、と思えるものが少なかった。

冒頭のプラネタリウムとの複合展示はともかく、ビデオインスタレーションも、宇宙線の反応を活かした展示も、それぞれ興味深いものではあるけれど、観終わってみるとなぜかいまいち印象に残らない。全体のテーマのなかでどう位置付けていけばいいのか、うまく消化できないのだ。宇宙開発の歴史や現状の紹介を兼ねる部分もあるのだけれど、そこもアートと巧くリンクしていない感じだった。

世田谷文学館『日本SF展・SFの国 』

こちらは更に小さな展示会だけど、SF好きとしては見逃せない。自転車で行けるし。

で、展示されているのは小松左京星新一手塚治虫といった日本SF黎明期の作家の回顧、彼らが関わっていた大阪万博の思い出、またウルトラマンといったテレビSFのプロップ……そんな思いでの集合体。それはそうなんだけれど、最後まで観て、では肝心のテーマであるはずの『文学としての日本SF』がどうであったのかが、心に落ちてこない。日本SFの技法やテーマがどう変遷し、人々に感動を届けてきたのか、そこがきちんと体系的に分かるかというと、ちょっと足りていないと思う。

展示の最後には、青少年教育の意図もあってだろう、「あなたとSFとのファーストコンタクトを教えてください」という投稿コーナーがあるのだけれど、SF用語としての “ファーストコンタクト” を使うのなら、そのモチーフがどんな作品で描かれ、なぜ人を感動させるのか、そこを、判りやすく目立たせてほしかった。

4展まわってみて

つくづく思うのはキュレーションとか、演出の難しさ。後者2展は、それぞれ単純なアートではない難しいテーマだけれど、どちらも観終わって、はて、何だったんだろうという未消化感が残る。テーマに沿った演出が不完全だったんじゃないかなあ、と思う。

前者2展は絵画主体だからノウハウの蓄積もあるだろうけれど、全体として飽きずに観れて、それぞれテーマに沿って、こういうものが表現されていたんだ、という腹落ち感がある。おそらく2つの展覧会が同時期、近い場所で行われていたのも、美術館同士のすり合わせによる相乗効果を狙ったところもあるんじゃないだろうか。うまいな、と思った。

ま、いろいろと文句も言いつつも、こういった幅広い芸術に思いを巡らせることができたのは、夏の小さな収穫だった。

司政官 全短編 (創元SF文庫)

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