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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

『ブラック・スキャンダル』ジョニー・デップがとにかく怖い映画。

実話をもとに、南ボストンのアイルランド系住民コミュニティを支配するモブ(ギャング)の姿を描いた『ブラック・スキャンダル』。原題は "Black Mass" つまり「黒ミサ」で、確かに教会(コミュニティや忠誠心の象徴)が印象的に現れるシーンもあるけれど、どちらかというと「質量」としての Mass を感じられる映画だった。すべてを飲み込む暗黒の質量、ジョニー・デップ演じるジェームズ・バルジャー、通称ホワイティだ。こいつがもうとにかく怖い。カッコいい怖さじゃない。心底嫌な怖さだ。

リアルな怖さ

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ホワイティの存在は悪そのもの、凶暴で冷酷で腐敗し、支配的な男だ。そしてもちろん、彼は「悪いこと」をしているとは思っていない。母親や弟との交流描写も見えはするが、他の映画やテレビ作品にありがちな、マフィアの人間性……友情だとか、苦悩だとか、ちょっとしたユーモアみたいなものを、この映画は一切感じさせない。ひたすら、嫌だという感情が走る。

ホワイティに並々ならぬ怖さ、嫌さを感じるのは、個人的な経験もあってのことかもしれない。だって会社勤めしてると、こういう上司に遭遇するもん。

もちろん物理的な暴力はないけれど、例えば相手の言質を取ったうえで些細な矛盾点につっこみ、言葉を畳みかけて威圧し、相手の感情を追い込む。そんなやり方を無意識にしてしまう人は、ビジネスである程度の地位に就いた人のなかにも多い。とくにあの目! 瞬きせず相手をじっとみるジョニー・デップの目は、自分が会った「そういう人」のものにそっくりだ。詰められる側の心を釘づけにしてしまう。

そんな人に会ったことがあるから、ホワイティの恐怖が、とてもリアルで身近なものに感じられてしまう。嫌だ嫌だ、ああ嫌だという感想しかない。

真空の恐怖

この映画、もともとはノンフィクション本で、マフィアの一代記のようなものだから、あまりエンターテインメントの構造にはなっていない。ラストでテーマを締るはずのホワイティと腐敗捜査官ジョン・コノリーの対話も、あっさりしたものだ。ただその直後に流れるボストンの街並みのコラージュが、この映画が深層で表現しようとしていたものを語っているように思える。そこで感じたのは、恐怖の質量というより、その抜け殻のような、からっぽの何かだった。

観終わって振り返れば、寒々とした思いしか残らない映画だった。マフィアのありかたとか、人間性がどうとか、あるいは恐怖とは何なのかとか、そんなことを考える気にもなれない。怒りも哀しさもない。ただただ寒々とした、ボストンの情景が残るだけ。そうした虚脱感こそ、この映画の価値なんだと思う。

 

字幕翻訳は松浦美奈せんせい。多少字数に余裕のある脅し文句はけっこう訳を作っていて、さすがに迫力が出ていた。字数制限でどうしても表現が足りなくなるセリフに対し、こういう尺の長いセリフでは内容を増して、全体としてホワイティのキャラクターを訳出している。