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farsite / 圏外日誌

Gaaoline's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

スター・トレックのスールーはゲイに「する」べきではなかったという話

スタートレック 映画 単発ドラマ

少し前から議論が起こっていた、『スター・トレック BEYOND』でスールーがゲイとして描かれる話。かつてスールーを演じたジョージ・タケイの主張は納得できるし、一方ジャスティン・リンら制作者側の発想もわかる。

bylines.news.yahoo.co.jp

 

ただ、思うのだ。もしスールーが、実は女だった、と描写されたら、どんな反応が返ってきただろう。

役者をどうするかという話はおくとして、スールーが女だ(本当は前から女だったけど、そう描写しなかっただけだ)ということにしたら、物凄く大きな議論、そして反発が起こったと思う。

男性キャラを女性にすれば、大きな議論がおこる。ところが、男性キャラをゲイにすると、「おお、多様性が表現されていいよね!」ということでスルっと受け入れられてしまう。

ゲイという性やジェンダーは、作劇の都合で簡単に置換されてしまう、男や女よりも「軽い」ものとして扱われていることにならないのか。

だとすれば、それはスールーというキャラクターの軽視だし、スールーを演じ、ゲイであるジョージ・タケイの軽視とも言える。

 

ジョージ・タケイがそう考えていたのかはわからない。他人の考え方はいくら想像したところで、わからない。あるいは制作者側も、そこまで考えたうえで、やはりスールーをゲイとしたほうがいいと考えたのかもしれない。

ただ、自分の中では、そんな思いが渦巻いている。ジョージ・タケイが言うように、ほかにやりようがあったのではないか。

極上の政治コメディとしての『シン・ゴジラ』

映画 ジャンル:SF ジャンル:コメディ ジャンル:政治

シン・ゴジラ』。自分も静岡の再放送ウルトラシリーズで育ち『ゴジラVSビオランテ』信者となった、いっぱしの怪獣ファンだったから、観た後は「ごめん……! 疑っててごめん……!」と東宝方面に頭を下げるぐらいの大絶賛だったわけ。泣いたもの。本格上陸したゴジラを仰ぎ見るシーンで、突然涙が吹きこぼれてきた。怪獣のいる光景に言いようのない感銘を受けて。自分でも驚いた。

(以降、多少のネタバレあります。この程度のネタバレなら面白さの本質は変わらないと思いたい)

本当に恐い怪獣

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打ちのめされたのは、その容赦ない破壊描写、怪獣の恐ろしさ。初代ゴジラの恐怖は、戦後30年以上経って生まれた身としては想像するしかない。だけどこの映画は、5年前の大震災を知る我々には、本当の恐怖となって迫ってくる。押し寄せる瓦礫の向こうに見えるゴジラの姿は、まさに津波だ。

初めてゴジラを観る人には、正真正銘の恐怖と嫌悪を抱かせるのではなかろうか。もし劇中に生々しい被害者の描写まであれば、それは上映をためらわれただろう。

いや、「怪獣慣れ」してるはずの自分にも、本作の破壊には恐怖を感じることしかできなかった。大抵の怪獣映画、ディザスター映画では、都市破壊にスペクタクルや快感、美しさが感じられる。でもこの映画では、そんなものを感じる余裕はなかった(感じたのは2度目に観てからだ)。凄まじい破壊に体がこわばる。この映画のゴジラは、ほんとうに恐い。

恐いからこそ、この映画は、一方で人間の圧倒的にポジティブな側面を描いて、バランスを取ってる。それは力強い物語であり、同時に喜劇でもある。笑えるんだこれが。

基本に忠実な物語

この映画、情報量がものすごいから戸惑うけど、削ぎ落してみるとすごくスタンダードな物語の構造をしてる。

序盤で主人公が「怪獣出現」という問題に巻き込まれ、意を決し(手を合わせるシーン)、「怪獣を倒す方法を考える」という物語の目標がセットされる。そして次々と現れる障害・葛藤を乗り越え、目標に向かっていく。最大の障害(米軍の最終攻撃)を乗り越えて目標を達成すると、「実際に怪獣を倒す」という真の目標が与えられてクライマックス。

これはハリウッドの、いや世界中の映画の基本構造だ。ここがおろそかになってない。物凄く忠実に、エンタメ映画やってるわけ。だから『シン・ゴジラ』はすごくブレない、観る側がストレスを感じることのない映画になってると思う。

一人の正義感に燃える男が、愚連隊を率いて、政治という障害を乗り越え、勝利をつかもうとする。この映画は、そういう物語なんだ。

主人公が自ら掲げるテーマ(この国は大丈夫!)に疑問も呈さないのには、確かに物足りなさを感じる。でもそれは、被害者が直截的に描かれないのと同じで、怪獣を圧倒的な恐怖と設定した以上、そうするしかない、ということなんだと思う。

主人公が怪獣でなく日本の現状そのものに絶望し、思い悩む描写が入り込めば、物語が総崩れして、手の施しようのない悲劇になってしまったかもしれない。震災後の絶望まで映画にするには、まだ時間がじゅうぶん経っていない。

極上の政治コメディ

だから、この映画は絶望の断片をコメディとして消化した。政府中枢を舞台として進んでいく物語は、コミカルな表現で彩られている。

スーツだらけで誰が誰だかわからない画面に、専門用語だらけで不明瞭な早口のセリフの掛け合い。その会話の要所々々で、定番ギャグのようなセリフが繰り返される。「おっしゃる通りでございます」、「想定外」、「苦しいところですが…」。一通り喋り通して、次のシーンで気の抜けたオチがつく。

この会話劇を聞いていて、90年代末からの米国東海岸系シチューション・コメディや*1、法廷ドラマの数々。超早口の英語でわけのわからん(実は意味もない)ことを喋りまくって口論する。本人たちは真剣なんだが、その状況じたいが面白いとうシチュエーション。その手法はスタイリッシュでもある。

シン・ゴジラ』も同じで、個々の演者、個々のセリフを独立して見ちゃうと、無個性な(役者も感情を込めるのが難しい)説明文が多い。対話になってなくて、セリフの羅列。ところが全体としてみると、その噛み合ってなさも含めて、異常なテンポがすっごく面白く、おかしい。そして意外にリアルだ。

そんな笑いがあるからこそ、その表裏である問題の深刻さ、恐怖、そして主人公たちの怪獣災害に抗う意思が、コントラストとして引き立つ。

笑いが導き出すもの

この映画の笑いは、映画のテンポを定めるアイテムであり、物語を絶望へと落とし込まないバランサーでもある。だけど、それだけのために投入されたものじゃない。このコメディ的な状況は現実の一部であって、笑わなければならないからだ。

だってさ、現実世界でも、震災と原発事故のときの政府や電力会社の対応や、その直後の政局は、哀しいほど可笑しなものだったでしょ? だからこそ、みんな怒りを覚えたわけで。

 

そして最後のワンカット。そこには、天に向かって苦悶の表情をたたえ、何かをつかもうと手を伸ばす異形の人々がいる。これこそ笑いの裏の顔、怒りと絶望だ。キャラクター性を廃し、異常進化の産物、災害として描かれてきたゴジラ自身が抱えるテーマが、ここにきて明示される。100mの高さから世界を見下ろし、全身から破壊のエネルギーを放射してきた、怪獣の意思。それは、死んだ者の絶望であり、定まらぬ怒りだった。

 

人間の希望・勇気と、ゴジラに秘められた絶望・怒りが、ぶつかり合い絡み合う。その巨大な葛藤。『シン・ゴジラ』の面白さは、この芯の部分があったからこそだと思ってる。

 

余談

笑いという意味で感じ入ったのは、凄まじい被害が出てるのに、ニヤニヤと政局の話をし続ける泉というキャラクター。主人公が暴走しそうになったとき、泉は一瞬シリアスな顔になって彼をストンとレールを元に戻し、またニヤニヤ顔で政局を語りだす。泉は、人間の持つ恒常性という、しなやかな強さを表現する存在にもなっている。巧い。

あ、もちろんネチネチ言いたいところもあります。BGMやSEが懐古趣味すぎて新規ファンには違和感しか与えないとか、カヨコの夢が大統領ってのはさすがにリアリティなさすぎとか、日本が米国の属国って一昔前の情緒的な見方で現実に即してないし逆に「東洋の小国なのに凄い!」みたいな自我の肥大化の裏返しになってイヤだとか。あと書道の動員のよさはこれガルパンよろしくリピーターのおかげで一般層受けはまだ未知数だよなあ。

 

でも大好きだよ! 3回目も観に行くよ!

 

 

*1:『となりのセインフィールド』『Mad About You あなたにムチュー』『News Radio』『フレイジャー』『Just shoot me!』『ウィル&グレース』などなど

シカゴ・ファイア シーズン1 海外ドラマ全話レビュー

海外ドラマ ジャンル:ヒューマン

AXN放送中のドラマ『シカゴ・ファイア(CHICAGO FIRE)』の、Twitterを使ったおおよそ140文字エピソードガイド&感想、第1シーズン。

あらすじ

ウォレス・ボーデ大隊長率いるシカゴ消防局51分署には、3つの独立した部隊がある。火災や事故に立ち向かうはしご第81小隊、人々を救い出すレスキュー第3小隊、そして被害者の命をつなぎ病院へと送る救命第61小隊。これは、彼らの物語だ。

はしご小隊のマシュー・ケイシー小隊長は、部下を失ったショックから立ち直りつつあった。正義感の強い彼は、ある事故で警官の悪事を指摘したことから、トラブルに巻き込まれていく。

一方レスキュー小隊のケリー・セブライド小隊長は、腕の痛みを止めるために使い始めた薬の中毒になっていた。薬からの脱却を、ルームメイトにして救命小隊のレズリー・シェイが支える。しかし、ゲイの彼女がセイブライドと同居していることは、様々な誤解を引き起こす。

 

エピソード・レビュー

1-1『シカゴ消防局51分署』

仲間の殉職を経験した51分署に、補充の候補生がやってくる。はしご車隊、救助隊、救急隊各面々の顔見せのため出だしはコラージュ的。それが1本の劇に集約していく。群像劇のツボを押さえた作風に安定感を感じるが、同時にどこか古臭さも感じる。★★★

1-2『愛しき人』

同僚を失ったショックの続くセブライト。彼hが建設現場でのレスキュー中に託されたものは……。アクション-メロドラマ-アクションの構成は安定しているが、シリーズ序盤なのに登場人物が多くプロットもぶつ切りで続くので、キャラもテーマも把握が難しい。★★★

1-3『信念』

警官の息子が起こした交通事故。隠蔽を図る父親に、ケイシーが立ち向かう。明確な悪役が出てきて、今後の連続ストーリーが立ち上がる。ヒーロー、悪役、色男、コミックリリーフと、 キャラの立ち位置がクリアで分かりすい筋書き。分かりやすすぎるのも問題だが。★★★★

1-4『1分の重み』

倉庫火災で救えなかったホームレス。その責任はどこに……? 話の主体のボーデンとミルズ、どちらも葛藤の描き方が不十分で、物語はいまいち盛り上がらず過ぎ去ってしまう。サブプロット含めテーマに一貫性が見えてこず、キャラ中心の薄い描写の連続体。★★

1-5『痛みと忍耐』

ケイシーに対する悪徳警官ボイトの嫌がらせはエスカレート。一方ガブリエラは感情に任せた逸脱行為が重なり……。ケイシー対ボイト編が主軸。まっすぐなシナリオは面白味が無いとも言えるが、クライマックス直前らしい盛り上がり。次回への期待は高まる。★★★

1-6『裁きの時』

ケイシーと悪徳警官ボイトとの戦い、ドーソンの不当医療行為の裁定、両プロットが同時にクライマックスを迎えるが、結果的に印象が軽くなってる。火災のアクションシーンとボイト編の解決策がとってつけたように絡むのには落胆。初のお色気シーンがないエピ。★★★

以下、レビュー中……