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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

ヨガ雑感

いま日曜の13時。ヨガをやってきた。コギャルと即身仏のあいの子みたいな先生なんだあれむっちゃハードだな。前回と同じ初歩コースなのにお説教少なめなぶんバッキバキにストレッチされたわ。


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しかし前回、つまりこのヨガスクールに入って第1回目のほうは、商売という意味である意味面白かった。その先生はレクチャー中ずーっとベラベラヨガの思想面、つまりいかに心を癒やすのか、という点を語っていたのだ。今回もある程度語ったが、心にもう一人の自分を持って観察せよとか、前後で心の有り様を注目せよとか、ポーズ作るのも無理をするな自分に意地を張るなとかそんなこと。

これを聞いて、ははあ、なるほどヨガは勝ったのだと身にしみてわかった。体を治すのであれば、現代ヨガがニューヨークに生まれる前から当地ではいろんな女性向けストレッチや体操講座があったわけだ(ドラマ『マーベラス・ミス・メイゼル』に出てくる謎の婦人体操とか、面白い)。エアロビクスだのタイボーだの、それぞれ今もやり込み続けられる深さを持っている。

でも、ヨガはその目的、存在意義を明確に「体ではなく心をつくる」と定義した。ごく恣意的な定義ひとつで競合ひしめく体操マーケットから抜け出し、「エクササイズ界のナンバーワン」でなく「ヨガ。オンリーワン」という価値を纏ってしまった。マーケティングの勝利、プロモーションの勝利だ。

 

インストラクターの人たちはたぶんそんなこと1ミリも考えずにそれぞれ求道の心でヨガをやっているんだろうが、まあハックされたわけ。心を。地球ぜんたいそう。ヨガ体操のマーケティングワンアンドオンリーの価値を打ち立て地球に君臨し、この先かなり長いあいだ、人類の文化のひとつとして存続するだろう。

そんなことが、レクチャーのあとの瞑想タイムに湧いてくるのだ。何が心を無にしろだよ思い浮かぶのはカネ・カネ・仕事。結局どう儲けるか。はーやだやだ。

映画『ウィンストン・チャーチル』見せたいものは何だったのかというはなし。

2018年度作品賞ノミネートの1作『ウィンストン・チャーチル / ヒトラーから世界を救った男』。観終わってみれば、なんともちぐはぐだったなあ、という思いが残る。あの演説で、すごく感動したかったのに、うまく感動できなかった。なんでだろう?

 

f:id:debabocho:20180331215127j:plain原題 Darkest Hour の指し示す通り、本作はフランスがナチスドイツに大敗して始まる英国の最悪の時期に首相となった彼が、自らの心の闇を払い、ダンケルクの演説に至るまでの1か月あまりを描く。

有能な政治家とはいえ失敗も重ね、回りは与党も野党も敵だらけ。さらに全体主義への徹底抗戦の意志をくじくがごとく、欧州大陸で最悪の事態が始まる。その瞬間、彼が何を思い、何を知り、何を決断して、あの大演説に至ったか……。そりゃあドラマだ。

ところが、実際盛り上がるはずなのに、なぜか心がついていかない。

シーンは良いのに物語にならない

シーンのひとつひとつはどれも良い。チャーチルの強さ、傲慢さ、繊細さ、小心さ、やさしさ、無神経さ……。演じるゲイリー・オールドマンの徹底したキャラづくりで、彼のいろんな側面が見えてくる。のしかかる状況の描写も巧い。ルーズベルト大統領との電話で、チャーチルが夜中に英国の現実を独り噛み締めるシーンは、実に見事だった。

でも、それが全体の物語としてうまく噛み合っているかというと、率直に、疑問だ。男の3週間にわたる感情の動きを追う、1本のうねりを伴った物語として、各シーンが繋がってこない。良質ではあるが、伝記の再現ドラマをバラバラとコラージュしただけのようだ。

じゃあ、バラバラであるがゆえにチャーチルの全体像が伝わってきたか、というと、そういうわけでもない。物語の葛藤をチェンバレンら対独融和勢力との対立に置いているんだけど、それを見せようとするあまりか、一貫して彼が不器用で頑固な傍流政治家に見えてくる。本来あったはずの異能にして有能な彼の姿はどこいったんだ。見えてくるのはオールドマンの演技、表現の巧みさであって、一人の歴史上の人物の表現としては、なにか欠けていたような気がする。

人物が伝わってこないといえば、国王ジョージ6世もだ。彼は物語上チャーチルをクライマックスへと導くキーマンなのに、彼の心が最後にどう動いたのか、それが明快に伝わってこないから、物語のターニングポイントに合理性を伴った重みが感じられない。

物語をつなぎとめたもの

ただ、そんなちぐはぐなシーンの連続も、所々で入る、ある特徴的なカットのおかげで救われている。ひとつは、自動車に乗ったチャーチルの視点という形で写される、様々なロンドン市民の横顔。長いパン撮影で、当世の人々の生活を細やかに映し出していく。もうひとつは、飛行機からの視点、神の視点で、地上を動く難民や兵士を映し出していく、同じく長いカット。

常にチャーチルの近辺5mの会話を映し続ける映画が、このカットだけ、声を排し、世界を映し出す。そしてラスト直前、チャーチルが、今まで眺めるだけだった「人々」と接することで、彼は葛藤を乗り越えるのだ。特殊メイクと迫真の演技だけではない、この手法こそが、映画を1本の映画たらしめる鍵だったと思う。

 

やりたいことはすごくわかる。すべてがぴたりとハマれば、最後の演説はものすごい大感動になっていたろう。だけど、あと1歩、自分の心がそこに向かわなかった。

結局何だったんだろうと思うと、ゲイリー・オールドマンの演技が、勝ちすぎていたんじゃなかろうか。特殊メイクで、彼はチャーチルというキャラになりきろうとした。そんな彼の演技を見せたいがために作られたシーンの連続は、結果的に、チャーチルという人間を表現しきれなかった。そう思う。

 

さいごに。もしこの映画がNetflixで配信されることがあるなら、劇が終わって暗転したらすぐに『ダンケルク』につながるようにしてあげてください。歴史劇の最高の楽しみかただと思う。

スター・トレック:ディスカバリー - 世界の全肯定が生んだ新しい物語

2017年イチ推しの作品と訊かれれば、『スター・トレック ディスカバリー』を上げるしかない。それは私が長年のスタートレックファンだからで、とても客観的な評価とは言えないのだけれど、このシリーズが表現して見せた世界、宇宙には、心底感動した。ものすごくスタートレックでありながら、ものすごく新しい宇宙だ。

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ディスカバリー』の解決

50年の歴史と720話を超えるエピソード、作品内では300年にわたる歴史を描いてきたスタートレックの最新作。設定の入り組んだ魅力的な作品世界を忖度すれば、物語は容易にパターナリズムの虜となる。スター・ウォーズですらエピソード7でそうなりかけたのだ。ところが革新性のため古い設定を打ち壊せば、ファンはまったく納得しない。

これを、『ディスカバリー』は、どう対処したのか?

ディスカバリー』は、あらゆるシリーズ、エピソードの設定を、ほとんど無秩序に取り入れた。設定の整合性ではなく、世界の構成要素、質量そのものを、全肯定した。そのうえで、そこに新しい物語を築きあげた。ものすごく難しいことをやってのけたのだ。ターンエー・スタートレックだ。

スタートレックはディティールに宿る

細かいことだ。作品世界的には1960年代につくられたオリジナル・スタートレック宇宙大作戦』に近い年代だから、有名なガジェットであるフェイザー銃やコミュニケーター、転送装置などはオリジナルの造形を踏まえて、ブラッシュアップしている。ところが宇宙船の効果音(ビープ音など)は100年後を描いた『新スタートレック』のものを使い、一方宇宙船のスクリーンに現れるアラート表示などは劇場版スタートレック準拠。『ディープ・スペース・ナイン』、『ヴォイジャー』、『エンタープライズ』、はては『まんが宇宙大作戦』の設定すら拾っている。

ディスカバリー』の世界は、過去どのTVシリーズ・映画とも違う雰囲気を持っているのだけれど、その中には旧作からの、無数のディティールが詰め込まれている。

仇敵となるクリンゴン人の造形もそうだ。『宇宙大作戦』当時は特撮費用の限界から人間そっくりだった彼らは、その映画版から前頭部に骨の隆起を持つ独特の容姿へと変貌を遂げ、定着した。今作ではその特徴を残しつつ、その他のディティールが大きく変えられた。みな地球人が見上げるような巨体となり、後ろ髪が無くなって目はライオンのような肉食獣のもの。鼻の孔は4つになった。

頭だけ残してあとは好きにした、ともとれるデザインだけど、そうじゃない。たとえば4つの鼻の孔、これは『新スタートレック』115話で作られた「クリンゴンの臓器はほとんどが2つ以上の冗長構成になっている」という設定を反映してると思われる。内臓が冗長化されてるなら、内臓への入り口である鼻の孔も冗長化しているのではないか? というわけ。好き勝手どころか、ものすごく細かく汲み取ってる。

真摯なのだ。『ディスカバリー』は、過去のシリーズで1話々々積み上げられた「クリンゴン」という種族、文化、社会を、丁寧に理解して、取り込んでいる。事実、前半10話のクライマックスは、まさにクリンゴンの「決闘文化」という設定が無ければ成立しなかったものだ。『ディスカバリー』はスタートレック世界のディティールを、進化させている。

伝統と革新性のミックス

一方で、ディスカバリーの第1話ではクリンゴン人の棺をまとった「死者の船」が登場している。有名な「クリンゴンは死体を抜け殻とみなし捨て置く」という設定を反故にするものだ。これは後に別のクリンゴン人が死体を倉庫に積み上げている描写を置くことで、異端思想だったのではという解釈を残しているが、いずれにせよ新しい物語の構築のため、捨てるべきものは捨てる、という姿勢が感じられる。

また、『ディスカバリー』はスタートレック宇宙の根幹にも大胆にメスを入れている。これまで恒星間の移動に欠かせない設定であった超光速移動技術「ワープ」とは別に、“生物学”をベースとした未知の超光速ロジックを導入。物語の根幹を成すと同時に、宇宙や生命の発生そのものに関わる大胆でユニークなSF性を獲得し、更には物語が進むにつれ「未知への憧れ」というシリーズ全体の哲学をも体現する設定に昇華させている。まったく見たことのない宇宙が、そこにある。

 

ディスカバリー』は、スタートレックの伝統と、物語の革新性という二律背反をうまくコントロールして、「まだ誰も見たことのなかったスタートレック」という、視聴者が期待していたものを作り上げた。私はそう思う。もちろん色々と言いたいこともあるけれど、ここまでやってくれたら十分だ。いちファンとして、最高の作品を観ることができた。

 

2018年1月からは、第1シーズンの後半が始まる。『スター・トレック ディスカバリー』が、来年も最高の作品であらんことを!