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farsite / 圏外日誌

Gaaoline's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

『ソーシャル・ネットワーク』 映画感想 - 強烈な負の感情

いやー凶悪な映画だった。凄くイヤなものを見せ付けられて、むしろ清々しいぐらいだ。

感情のコラージュ

この映画はフェイスブックの成功物語でも、主人公ザッカーバーグの成長や愛情の物語でもない。イノベーションもセレンディピティも関係ない。直線的な時間軸すら重要じゃない。この映画は徹底した、人々の会話と感情のコラージュだ。

登場人物が実在の人物とかけ離れてることは、容易に想像がつく。映画の中で彼らはみな、人間の持つ負の感情の代弁者としてのポジションを与えられてる。嫉妬心を原動力に動く孤独な主人公。凡庸なために裏切られる友人と、理不尽な愛を求めるそのガールフレンド。それぞれ激情と冷静の性格を代弁する双子。カリスマはあるがモラルの無い軽薄な先輩。まるで神話のキャラクターだ。

そんな彼らが、社会の様々な局面でつながり、関係を持ち、会話を重ねていく。「分かり合える」とか、「真実に到達する」とか、そんな“劇的”なモノはどこにもない。猜疑や軽蔑がそこかしこに顔をだしつつも、人間同士は繋がり、なにかを成し得ていく。でもそれって、却って凄くリアルだ。

自分自身を見通す映画

才気溢れる人々の高貴な感情なんてどこにもない。この映画が映し出してるのは、どこかで見た、凡庸で厭らしい人間の姿。私たち自身のリアルな負の感情を、丁寧で細やかな演出で、いっとう激しく表現したものだ。だから皆、自分自身を見るようで不愉快になる。どんなに憎たらしくても、自分自身をやめることも、殺すこともできないから。

クライマックス、主人公たちの相互不信が最高潮になり、激情が噴出するシーン。よくある映画なら、あそこで取っ組み合いを見せてたのかもしれない。でもこの映画は違う。結局最後まで誰も人を殴らず、最大限の怒りと、軽蔑と、哀れみと、不信を投げつけあって終わる。

そのときの彼らの表情は、みな今にも泣き出しそうだった。

そうなんだ。自分自身、現実の激しい言葉の応酬を前にすれば、強がりながら、泣き出したくなるのを必死で堪える。それが、すごくリアルで、辛かった。

脚本家のアーロン・ソーキンは、『ザ・ホワイトハウス』の感動の正反対を、見事に描いてくれた。『ソーシャル・ネットワーク』のタイトルどおり、人々の繋がりとはこういうものだという説得力があった。その表現方法は度を越して辛辣だったけれど。

 

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