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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

『テネット』 - 2時間半で英雄譚を完成するには、という話

久々に入った映画館で「観劇後の感想がトリビアや謎解きだらけになるのなら、それは物語映画としては失敗じゃないかなあ」なんて不遜なことを考えながら『テネット』を観ていたのだけど、ラスト、ロバート・パティンソンが語るシーンで、隣の席からすすり泣く声が聞こえてきてはっとした。

そうだよ。これは一人の男が出会いと別れを経験して英雄になる、ストレートに泣ける物語じゃん。なに斜に構えてるんだ。

 

そもそもブロックバスター映画なんだから

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時間トリックのおかげで技巧的な話ばかり目立つけれど、ノーランは配給会社と銀行からデカいカネ借りて作ってるわけで、売上を作る義務がある。彼は万人に受けるガッチリとしたハリウッド式な英雄譚に、彼流のプラスアルファを作れるから、常に大予算を任されている。

英雄とは何かを描いた『バットマン』3部作、時間を超える展開で人類と娘を救う英雄を描いた『インターステラー』。『ダンケルク』だって、実在した戦場を3つの時間軸で描きつつも、解体してみればシンプルに、障壁を乗り越え人々を救うヒーローの物語だ。

『テネット』は、ある意味その構造の極限に挑戦した作品なのかもしれない。

「逆回し」というフィルム映画の最もシンプルなSFX技法を駆使してプロットをひっかきまわしてみせた本作は、一見、その筋を理解すること自体が目的化しているように思える。

でも、ただ奇妙なプロットであるなら、ひとは「もう一度見て理解しよう」だなんて思わない。その芯にあるのが力強い物語であって、感動できると確信できるから、理解したいという動機もうまれるのだ。

 

英雄が英雄になる瞬間を描く

今回の主役には名前もなければ過去もない。自らを「主人公だ」と自認するだけのふわっとした男だ。

でも、この作品は逆回しの時間のギミックで、未来と過去、両方に向かって広がってゆく構造になってる。だからこの名もなきヒーローは、存在そのものが過去と未来両方の起点、作品宇宙の始まりの瞬間そのものになる(ゆえにそもそも過去がない)。

交錯する時間の中にちりばめられた要素が、場面場面で、彼に英雄になる理由を気づかせる。彼の時間は2時間半の上映時間のはるか外にまで延び、仲間と組織をつくり、物語は彼が英雄になる瞬間に戻ってくる。

ノーランは本来2時間半では描き切れない彼の叙事詩を、折り重なった時間構造を利用して観客に想像させ、感動に足るもの、”泣ける”に能う重みをつけようとしている。

そうして戻ってきた時間の矢の先端(=出発点)で、主人公と観客は理解する。自分が英雄であったこと、そしてこれから英雄となることを。それは主人公自身の自由意志によるものであり、また同時に、時間を遡ってかたちづくられた宿命でもある。

過去、英雄に様々な葛藤を課して描いてきたノーランは、今回「自由意志と宿命」というメタレベルでの葛藤を主人公に課した。この二律背反したふたつを超越して現れる存在こそが、英雄というものだろ? 今回、そんなことを言いたいんだと思う。

 

映画も救えるのか 

で、本作は作られ、よもやの事態であるこのパンデミックのさなかに上映された。ノーランにも制作会社にも銀行にも勝機はある。「なんだかわからんけどすげー面白い」映画なら、配信で、テレビ放送で、セルメディアで、2回目を見たくなる観客は多いはずだ。

ブロックバスターが軒並み延期になるなか、この作品なら、スクリーンを埋めつつ、最後はまるっとまとめて黒字になるかもしれない。一縷の希望をかけ、閑古鳥鳴くIMAXシアターにデータは送られた。果たして2020年の映画業界の救世主に、この映画はなれるんだろうか? まあ米国の成績を見るに、その試みは、失敗したのかもしれないけれど……。

 

もう1点

ノーランて、集団戦の描写がすごく下手なんじゃなかろうか。バットマン3作目の市庁舎の前だかの乱闘は、もっさりしてダサかった。今回のクライマックスの「戦争」シーンも、なんだか兵隊さんチームがのそのそ駆け足してるところばかり気になってしまった。

あと逆回しで動く兵隊さん、あれ実際フィルム逆回しじゃなくて、役者に逆走りさせて撮ってない……? そりゃもっさりするわけだ。