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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

海外ドラマ: ギャラクティカ 第49話『サボタージュ』

――離陸直後のラプターがエンジントラブルにより遭難、燃料不純物が原因だと判明する。チロルは調査のために燃料精製船ヒテイ・カン号に入るが、そこで目撃したのは劣悪な労働条件と、旧植民地惑星の出身地差別がそのまま固定化されてゆく現実であった。船団内の差別を糾弾するバルターのアングラ出版物がサジタロンやアリロン出身者からなる労働者たちのあいだで読まれ、次第にサボタージュが広がってゆく――

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47話『父として 兵士として』で主題となった人類内に広がる差別の問題が、またクローズアップされる。

政治・文化の中心地であった惑星カプリカの出身者は、ギャラクティカでも政治家や士官になり、一方貧しいサジタロンやアリロンの出身者は必然的に整備士や工業船の労働者をやっている。全人類が一丸となって生存の為に戦っているはずなのに、逃れられない社会のくびきがそこにある。そして、この“生存の為”が、すべての社会問題に対する免罪符となり、労働階級を固定させ、極端な社会ができつつある。外敵であるサイロンに強制されたわけでもない。これは人類が自ら選んだ自滅の道である。強烈なディストピア描写だ。

燃料精製船の労働者たちの強烈な視線、農民でもない少年が農民のレッテルを貼られ、燃料精製船で強制的に働かされるという過程、そしていつも物語の主役として戦ってきたハズのアダマ提督やカーラさんが、黒服の抑圧者として、ハンガーポッドの整備士の前に立ちふさがる……このあまりにも大胆な視点の転換は素晴らしい。

視点の転換こそSFの真髄であるとしたら、これはまさにそのSF的手法で、“我々の社会”の構造的問題を鮮烈に描き出している。……なんて言い過ぎか。いや、とにかく設定の妙とシナリオのアイディア、そして映像表現の面白さが、見事に一体となった良いエピソードだった。『父として 兵士として』は今一歩だったが、今回はエンディングのささやかな希望も含め、充分すぎるほど満足できるものだった。