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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

Apple TV+の『ファウンデーション』は結構凄いことやってるのよという話。

アップル嫌いの自分が我を殺してでもApple TV+に契約せざるを得なかったのはマイケル・ムーアのドラマ『フォー・オール・マンカインド』のおかげだけれど、それを上回るネームバリューで始まったのが、21年秋の『ファウンデーション』だった。言わずと知れたアイザック・アシモフSF小説の映像化だ。

 

小説が最初に書かれたのは70年以上前。20世紀後半のSF作品における”量子力学"のような感じで、"原子力"が万能のエネルギー源として出てきたり、社会の指導層が男性に偏ってたりしてるわけで、そんな設定のアップデートは当然なされてる。古典的な葉巻型宇宙船が、中心に特異点(最近観測された実際のブラックホールのイメージ)を抱えた「葉巻カッター型」超光速船になっていたのはちょっと笑った。

 

しかし何よりのアップデートは、原作では年代記のように進んでいく序盤の展開に映像作品としてのドラマ性を加えるために、主役である「ファウンデーション」の人々に加え、それに相対する「帝国」側にもう一本の軸足を加えたことだった。

 

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新たな銀河帝国を通じて描く「人間の本質とはなにか」

小説版の主役は、数学者ハリ・セルダンとその子弟=ファウンデーションだ。彼らが心理歴史学という、今でいえば計量社会学の極致のような未来予測理論を道具として、どのように人類の銀河社会を変えてゆくか。そこに架空史のダイナミズムがあった。

 

これに対し今回のTV版では、それに相対する銀河帝国の中心に「クローン皇帝」を据えた。何代か前の皇帝が、自分の意図通りに人類社会を運営するために作り出した、永久皇帝とも言えるシステムだ。

 

このクローン皇帝と、原作シリーズでも描かれた「人類存続の任を与えられたロボットの宰相」という設定をもってして、TV版の作品世界が形作られている。人類は社会を自ら動かすのではなく、過去に作り出したシステムに委ねた。現状を永久に変えない仕組みが「銀河帝国」であると、明確になったわけだ。

 

衰退はすれど発展することのないシステムの化身、銀河帝国に対し、人間性のよりどころたる知性集団、ファウンデーションが立ち向かう。この構造が、葛藤を生み、ドラマを生むことになる。架空の未来世界の様相を通じて、社会とは、人類とは、人間性とは何かを描く。SFの王道だ。

 

未来世界の葛藤と、我々の葛藤

ところが配信されたシーズン1に関して言えば、この二軸の対立はまだ明確に起こらない。むしろファウンデーション側はその立ち上げ期の混乱を描くことに終始しており、人間性とは何かを深く描いているのは、もっぱら皇帝側だ。

 

死期さえ定められたクローン皇帝といえど、彼らもまた人間だ。更には”ロボット”も、存在の基底をプログラムで定められているとはいえ、自我を持ち葛藤する存在として描かれている。永遠の停滞を使命としながら、それを打ち壊す潜在的な可能性が、クローンにもロボットにも備わっている。

 

彼らは社会の分裂と衰退に直面し、内面的な葛藤を示すことで、進化への手がかりを視聴者に植え付ける。皇帝とロボットが宗教改革者と対立し、その芽を摘みつつも「変えられない存在」たる自己を静かに呪うシーンは、第1シーズンの最大の見どころだったと思う。

 

アップデートされた銀河帝国はまた、為政者が現状の体制を国民に押し付け、目前の危機に対応しようとしない多くの国々と似ている。社会は貧富の差で二分され、現状を打破する理性的な手段は残されていない。現状を変えるためにテロを起こせば、それが更に分断を深め、衰退が加速する……。未来世界に仮託して、現代社会の課題を描くのも、またSFの王道。シンプルなプロットではないが、非常に見どころの多い、また思索の巡らせがいのあるドラマだ。

 

心理歴史学」のアップデート

更に不気味なのが、「ファウンデーション」側の心理歴史学だ。かつては牧歌的な、科学による人類の進歩の象徴として描かれていたそれは、明確ではないものの、TV版では少し不安な道具として映るようになっている。

 

なぜなら、心理歴史学という未来を見通す道具もまた、数学によって生み出されたアルゴリズムの集合体であり、非人間的なものだからだ。広告のレコメンドや自動車の運転と同じようなロジックで、人類社会の課題を予測し、その解法も決めてしまうようなものだ。

 

TV版ではハリ・セルダンはその人格をコンピューターにアップロードし、アルゴリズムの化身としてリアルタイムで未来社会の課題と解法を予測する存在と描かれている。そんなセルダンに、クローン皇帝やロボットとの違いはあるのだろうか? 社会の変革に必要なのテクノロジーを、今を生きる我々は、どう扱うべきなのだろうか?

 

 

TV版『ファウンデーション』は、大きな作品であるが故、結果的にプロットが分断しストーリーの進行がままならない部分もある。しかし、単なる未来史ファンタジーとして消化してしまうのはもったいない。これぞSFといった、様々な要素が詰め込まれている。

 

シーズン2以降は、ロボットの存在はより明確になり、原作のミュールに値するキャラも登場することだろう。壮大なSF物語として、また社会派作品として、じっくりと楽しめる作品となると、期待している。