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farsite / 圏外日誌

Gaaoline's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

海外ドラマ:『ギャラクティカ』最終回、そしてテーマの本質はなんだったのか?

ギャラクティカを見終わってまず強く思ったのは、これは死の物語、ローラ・ロズリンの物語だということだった。

ギャラクティカに描かれたのは、人類という種族が、いかに死んで(滅んで)いくかの過程だった。それは、ローラ・ロズリン大統領の末期癌の命運と、相似であった。

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ロズリンに下された突然の癌の宣告。絶望的な状況の中で、生きながらえるすべを求め、何かにすがり、闘い、幻影の中で苦しむ。一瞬の回復も、夢のように消え、結局は追い詰められて虚無と混乱のなかにひきずりこまれる。それはカプリカ脱出後の人類全体が経験する運命でもあった。種族全体の運命と、ロズリン個人の運命が、物語の中で互いに干渉しあい、道筋を決めていったようにも思える。

第4シーズン中盤で希望を叩き潰されて以来、ギャラクティカには、恐ろしいまでの混乱と絶望があふれていた。サイロンとの最後の闘いも、自暴自棄になりながら何かにすがろうとする、死を目前とした人間の混乱した精神そのものに思えた。

だから、人類の前にあらわれた“地球”とは、脱出とか、救いとか、希望とかではなく、死そのものだった。苦しみと混乱の果てに突如、まさに奇跡としてあらわれたそれは、3万人の人類再興の地とはならなかった。そこで人類は、ひとときの平安を得、愛した誰かとの思いでをかみしめながら、溶けるように消えていったのだ。

そして、そこに神がいた。コボルの人類が信じた宗教でも、サイロンの宗教でもバルターの信仰でもなく、誰もが普遍的に迎える死という経験に、神の奇跡はあったのだ。生き延びることが奇跡なのではなく、混乱の極致に突如としてやってくる安寧こそ、人間だれしもが感じられる、奇跡なのだ。

生きて死ぬこと。それが、神の導きである。製作者は、そう語りたかったのだろうか?

なんてこと書きつつも、やっぱりあの終わり方はないよなあ、とも思ってるんだけど。

“奇跡”なんてフレーズを持ち出して、あんな宗教チックな終わり方をしてしまったこの作品は、はたしてSFだったのだろうか? SFよりも、『フィールド・オブ・ドリームス』に近いんじゃないだろうか?