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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』映画感想: ヒット・ガールは、いつも一歩前にいる

カント! でクロエ・モレッツブームの火付け役となったキック・アスの第2弾。美しい終わり方をした前作をどう継ぐのかと不安だったけれど、それを払拭するアクション&バイオレンス&下ネタ! 暴走する倫理の巧みな表現と、ヒット・ガールの更なる成長に釘づけになる快作だった。

あらすじ

キック・アスになってマフィアを倒して全米民間スーパーヒーローブームの火付け役となったデイブは、目的意識のない高揚感を求め再び体を鍛え、ヒーローチームの一員として活動を始める。一方ヒット・ガールとして育てられ、親を失ったミンディは、普通の女の子に生まれ変わろうと苦闘する。正義と悪の運命は再び交差し、暴力の狂気が、二人を成長させていく。

感想

まずは悪い点、3つ
  • アーロン・ジョンソン、老けすぎ(メイクや撮影がうまくいかなかったんだろう)
  • クロエ・モレッツ、演技イイとこはイイのに、時々アレっと思わせるフ抜けた演技が(演出がうまくいかなかったんだろう)
  • カーアクションの合成が完全にテレビスケール(良いSFXスタジオがなかったんだろう)

総じて、お金が無いなか苦労して作ったんだろうなあ、という感じ。

じゃあなにが良かったかといえば、それ以外ぜんぶ。第1作と変わらないテンションの面白さがキープされていて、主人公たちの新たな成長があると思う。

タガが外れ、共に狂れっていく正義と悪の描写

現実世界の一歩外にいるハズのスーパーヒーロー。それを現実世界でやってみたら、正義のあり方も、対する悪のあり方も、その矛盾が強調されどんどん歪になり、エスカレートする。そんな第1作のテーマ・世界観が、今作もきっちり描かれ、そのプロセスも丁寧に順を追って描かれてる。

例えば、今回キー・キャラクターとなるジム・キャリー演じる民間スーパーヒーローは、元ギャングの用心棒がキリスト教で正義に改心したという設定。彼からあふれ出る狂気寸前の倫理観が、現実世界にも多分にある、自己中心的な正義感の危うさをストレートに示している。スーパーヒーローに対する悪の“スーパーヴィラン”化も、無知と無邪気さから来る暴走の進展がとてもロジカルに表現されていて、ゲラゲラ笑いつつも、常に「現実もこんなもんじゃないのか」という空恐ろしさがついて回る。

この、現実の社会と紙一重で歪んでしまった映画の中の社会性が、無意識の緊張感を生んで、こちらを画面に引き込むんだと思う。

現実と戦い、また成長していくヒット・ガール

f:id:debabocho:20140303173152j:plain正義と悪の二極が相互に狂っていく中で、別次元に伸びた天秤の上で揺れているのがヒット・ガール、ミンディだ。スーパーヒーローとして正常な子供時代を「奪われた」彼女は、育ての親のためにも賢明に、普通のハイスクール・ティーンエイジャーになろうとする。しかしそこに待っていたのは、映画の悪とは違う、凡庸だが苛烈な「悪意」に満ちた世界だった。

デイブが承認欲求に駆られ正義ごっこにハマる一方で、ありきたりな青春を演じようとする彼女は、大人だ。腰から下がキューっとなっちゃう性の目覚め(よくもまあこんなシーン演じさせたわ)を経て、一度は揺らいだアイデンティティが、間違っていなかったことの確信を得ていく彼女。ミンディは今作でもやっぱり、デイブより一歩先いく、大人だった。大きな喪失を経験したデイブに寄り添い、またほとんど本能的に護ろうとする彼女には、母性すら感じる(そんな彼女が戦うのが、狂人マザー・ロシアというのもアレだ)。

正義と悪のタガが外れて狂った世界の中で、いちばん狂っていたはずのミンディ=ヒットガールは、いつの間にかいちばんまっとうな、大人のヒーローになっていた。前作にも感じただまし絵のような構造だ。英雄らしく去っていく彼女の背中には、素直にカッコいい! と感じてしまう。終わってみれば前作と変わらぬ、ほんとうに良い成長物語だった。

 

 

字幕翻訳はベテラン松崎広幸せんせい。マニア系の映画でもモダンなウィットを利かせつつかっちり訳して見せてくれます。最近は本作に限らず字幕監修がネームバリューを持つようになってきたけど、翻訳者の技能がなければ監修もなにもないわけで。翻訳者自身も、もうちょっと注目されないものかと思う。

 

映画字幕は翻訳ではない

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