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テーマを台詞で語る映画は良い映画! - ダンジョンズ&ドラゴンズ:アウトローたちの誇り

*ストーリーのネタバレではないんですが、この映画の一番肝心なところのある意味ネタバレです。

 

劇場に向かう時間もなかなか取れず、心が弱ってくると、観る作品も文芸作品ではなくブロックバスターのエンタメに偏ってしまう。派手な絵と音は劇場でしか体験できないからというのもあるけれど、やはり観て満足したいという安心欲求があるからだ。奇を衒わない、教科書通りの三幕構成で、きっちりオチのある楽しい作品が欲しい! 我ながらいやな映画の選び方だと思う。

 

そんな気持ちになってしまった自分に、しかし『ダンジョンズ&ドラゴンズ』は見事に応えてくれた。なにしろ幕構成がカッチリ嵌ってるだけじゃない。第二幕の終わりで、主人公クリス・パインが映画のテーマを、長尺とって台詞でとうとうと語ってくれるんだから! この「テーマをセリフで言わせる映画」が、個人的に大好物なんですよ。セリフでタイトル回収する映画なんてメじゃない。

 

三幕構成の様式美

camera


映画とかTVドラマとか、エンタメ作品ってのはだいたい三幕構成になってるというのは、よく知られた話。1幕が導入、2幕で物語が展開してキャラクターが葛藤の乗り越え、真に求めるものを見つけて、3幕がクライマックスの解決編となる、そんな構造だ。

 

これはもうエンタメ作品の基礎というか様式美に近い世界であって、三幕構成を意図してない作品だって三幕で理解することもできる。『暴れん坊将軍』とか『水戸黄門』だって、チャンバラに入る前、将軍様が「許さん」となるに至る展開が第2幕と言えるだろう。

 

で、第2部の幕切れというのは、教科書通りだと物語の仲間の死とか別れみたいなインパクトの強い何かがある。主人公はそれを契機に、なぜ自分は戦うのか、自分は何を求めてるのかに気づき、クライマックスに雪崩れ込む。時代劇だったら、悪代官に嵌められた不幸な町娘が、将軍の腕の中で「ひとめ○○に出会いたかった……うっ」とか言っちゃって、そこでハッとなるシーン。こんな不幸を作り出すあの悪代官、許さん、と目的が明確になり、観てるほうにも共感を生む。あ、これいま勢いでテキトー言ってるんで、ちゃんと映画の先生に聞いたら「時代劇はちげーよ」と言われるかもしれませんごめんなさい。

 

で、この主人公が真の目的に気づくシーンを、いかにスタイリッシュに視聴者に分からせるか、ナチュラルに共感させるかが、脚本家や演出家の腕の見せどころなんだと思う。時代劇ですらそうだ。

 

しかし、ここで映像のセンスに頼らず、明確に、何がこの「映画」の目的であるのかを語るタイプの映画があるわけ。本作がまさにそれ。

 

テーマを語る言葉

今回の劇場版ダンジョンズ&ドラゴンズは、盗賊に身をやつした元ヒーロー、エドガン(クリス・パイン)と仲間たちの冒険を描く。元々は悪と戦うハーパーズの一員だったものの、愛する妻を失った彼は、詐欺師と魔法使いに牛耳られた街を解放し、妻を取り戻すために奮闘する。かつての仲間を見つけ、ダンジョンに潜り、敵を出し抜く魔法のアイテムを手に入れる。

 

ところが、第2幕の最後、あらゆる困難を乗り越えてきた彼が、些細だがどうにもならない壁にぶち当たる。それもエドガン自身のちからではなく、仲間の力不足のために。彼に勝手に勝利の鍵にされ、責任を負わされた仲間は当然キレる。こんな作戦失敗だ! 僕に何でもかんでも押し付けんな! と。

 

作戦も仲間も、すべてがバラバラになりそうなその瞬間、エドガンは、クリス・パインはこう語り始める。

 

失敗がなんだ。俺もお前も人生失敗続き、俺なんか失敗のチャンピオンだ! でも失敗したっていいじゃないか。次の手を考えるんだよ! 何かをし続ける限り、それは失敗じゃないんだ。挑み続けるんだ! 

 

強い。いや、これは本当に見事な口上だったのだ。旅の仲間を、そして視聴者をくぎ付けにしたクリス・パインの演説は、彼らの冒険とは、妻や街の解放という表面的な目的なのではなく、「トライしつづけること」そのものなのだと喝破する。そしてそれは(遊んだことがないので恐らくは)、TRPGをプレイし続ける人たちの精神、すなわち映画のテーマでもある。更には、この演説を受けて、パーティは本当に「次の手」をちゃんと考え、クライマックスの展開に繋がるのだ!

 

語らせることの価値

おおよそメソッド演技に支えられた現代映画というのは、キャラクターの台詞ををいかに生っぽい、迫真性のあるものとするかがキモだ。特に第二幕の終盤は、キャラがその内なる感情を表す印象的なセリフ(いわゆる聴かせどころ)をバシっと決め、観客に「このキャラは生きている」と思わせるポイントになる。いまふと思いだすのが『ゼロ・ダーク・サーティ』。あれは「私の人生にけじめをつける」みたいな言葉をジェシカ・チャスティンが言っていた。翻訳の妙と相まって心にドスっと響いた。

 

一方、もしもその聴かせどころで、映画のテーマを安易に語る説教台詞を差し込めば、キャラは浮つき、見る側は興ざめしてしまう。安っぽいエンタメなんて言われる作品も、構造的に見れば、第二幕の終わりでテーマなり真の目的なりをうまく提示できずにクライマックスのバトルに入ってしまうから、そう言われる。

 

でも、今回『ダンジョンズ&ドラゴンズ』は、そうならなかった。世界観を作りこみつつも、現代的な感覚のキャラをそろえてコミカルに演じさせ、TRPGのメタな感覚を残した舞台設定。クリス・パインクリス・パインらしい演技力と存在感。そして練りに練られた、熱量を伴った言葉! この3点が、観客を心地よくねじ伏せてくれる。

 

なによりありがたいのが、ここでテーマを語ってくれたおかげで、第三幕のバトルが単調にならなかったということだ。「挑み続ける」という言葉どおり、ありとあらゆる戦術・作戦を使って敵を出し抜く戦いが展開し、ブレずにたっぷり楽しめた。エンタメ作品で「ちゃんと語っとく」効果は、思いのほか高い。

 

テーマによってベクトルがそろった映画は強い

エンタメ映画にテーマなんか要らない。それはひとつ至言であるかなあと思う。一方で、エンタメも人が思いを幾重にも巡らせて書くもの。いくらキャラクタードリブンで作劇をやっていても、テーマは知らずと入ってきてしまうものではないのか、そうも思うわけ。書くうちに知らずと生まれてしまったテーマのほうが、むしろよく馴染むのかもしれない。

 

本作の作家たちが、このテーマをいつ発見して作品に封じ込めようと考えたのかは分からない。でも、ダンジョンズ&ドラゴンズという歴史あるテーブルトークゲームを祖とする映画のテーマとして、「挑み続ける」ほどぴったりのものはなかった。人をどん底から引き上げるすさまじくポジティブな言葉が、何の衒いもなく、まっすぐ心に入ってくる。

 

言葉として表現されたテーマが心に入ってしまえば、映画の中で表現されたあらゆることが、そのテーマと結びついて記憶される。とっちらかった冒険も、キャラどうしの掛け合いも、ご都合的な展開だって、テーマに沿った結果が出ていれば、許せてしまうのだ。

 

歴史あるゲームを題材としつつ、非常に普遍的なテーマをあえてビシっと置いたために、マニア的にならず、万人が楽しめる作品となっている。ほんとうに、よくできた映画だ。観てよかった。