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怪獣プロレスに初めて理屈がついた! - ウルトラマンブレイザー

固定資産税の時期が過ぎると、怪獣税のシーズンだ。ことしもウルトラマンの新シリーズが始まる。いちど怪獣特撮を好きになってしまった以上、どんなにチープだろうと、どんなに過去作品の再利用が甚だしかろうと、観て買ってカネを落とさねばならんのだ。

 

しかし今年、2023年の『ウルトラマンブレーザー』第1話はなかなか見所があった。円谷の財務状況が改善したのか、それとも大スポンサー様を説得し予算がつけられたのか、さいきんの青春群像劇路線から大きく転換した、リアリティ強めの戦闘アクションに仕上げてきた。主人公はおっさんだし、ウルトラマンもべらべら喋らない。ウルトラマンネクサスや、往年のゴジラビオランテを思わせる路線変更だ。

 

ポスト・シン・ウルトラマンという見方もできるかもしれない。あの路線の成功を梃に、ライダー・戦隊との差別化を行い、本格的に売り上げを上げていこうという制作陣やスポンサーの意思があるのだろう。新たな路線でありつつ、セリフや演出が妙に昭和臭いのも、作る側が「自分たちが見たかったものを作ろう」という意気込みがストレートに表現された結果だと思う。良きかな。

 

しかし、このオフビートな作品で本当に驚いたのは、人間パートの設定じゃない。何の説明もないまま突然主人公を強制的に変身させ、出現したウルトラマンブレーザーだ。そのファイティングスタイルが、猿なのだ。

 

ウルトラマンブレーザー

実体化したブレーザーは、ゴリゴリのストロングスタイルで怪獣に格闘を挑む。いきなりビルによじ登ったかと思えば、これまでのどのウルトラマンにも似ていない、長い雄叫びのような発声をする。さらに体があったまってくると、雄叫びとともに大きく地団太を踏むような動作を繰り返し、敵に体当たりを繰り出す。ランペイジのすえ怪獣の体を物理的に引きちぎり、ようやく光線技で片をつける。

 

こんなウルトラマンは初めてだ。いや、ハヌマーンはこの際別枠にしよう。どんなシリーズでも、ウルトラマンとは人間以上の、神性を感じさせる高位知的生命体だった。初めての戦いでも、ある程度洗練された格闘スタイルをもち、暴れる怪獣を退治するものだった(メビウス以降、頼りなく若いウルトラマンという存在も多かったが)。

 

ところがブレイザーはどうだ。戦闘狂だ。むしろハヌマーン以上に、動物だ。最近の作品だとホロボロスの戦闘スタイルを彷彿とさせる。そしてなにより、このウルトラマン、すごく生々しいのだ。異生物としてリアルだ。

 

子供向け特撮番組であるウルトラマンには"お約束"がたくさんある。その最たるものが、「ウルトラマンと怪獣のプロレスを見せる」だ。高次の存在でありながら、格闘技で怪獣や知的異星人と戦う。道具は使っても槍、剣、バケツ程度。知性もへったくれもないのだ。リアル路線と言われた2004年のULTRAMANやシン・ウルトラマンでも同じ。結局、プロレスだ。

 

我々は、その矛盾を受け容れてきた。観たいのは巨大生物同士の乱闘なのだから、目的は設定に優先する、と。

 

しかし今回初めて、「なぜウルトラマンはプロレスをするのか」に説得力ある理由が与えられた。それは、「そういう生き物だから」だ。

 

この作品世界のウルトラマンは、最初から怪獣と同じように素手で戦う生き物なのだ。本能なのか、そういう戦闘文化なのか、生物として、格闘戦をするのが当たり前であるよう演出がつけられている。コロンブスの卵だ!

 

人間ドラマをミリタリーチックな「リアル」風味に転換しておきながら、特撮パートではこの外連味。ある意味ものすごくバランスが取れている。もしも特撮パートまでリアル風味だったら、全体として強弱のない、暗い30分ドラマになってしまっていただろう。視聴者の主体である子供のことを忘れていない。それが逆に安心させる。

 

テレビ向け怪獣特撮には、常に「子供だまし」という厭な言葉がついて回る。映像も演技もチープであることが当たり前だ。でも、そんな制約だらけの作品だからこそ、一瞬の目を見張る映像、一瞬の感動が際立つ。そして、次の話にはまだ見たことのないセンス・オブ・ワンダーがあるかもしれないという期待が持てる。だから、我々は怪獣税を払い続ける。今年のウルトラマン・ブレイザーは、少し多めに、その期待に応えてくれそうだ。