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Gaao Line's Web Journal: Writing about US/UK TVs, cinemas, and foods I love.

あの夢の世界が、真実であれば。

夜、いくぶんか涼しくなった東京で自転車を走らせていたら、突然に今朝見た夢を思い出した。ずいぶん前に亡くなった人との夢だった。

夢の中で、彼女は私と一緒に仕事をしていた。20~30代の頃働いていた大きなオフィスのような環境でだった。比較的女性の多い職場だったから、その投影もあったのだと思う。ごく普通に淡々と仕事をする、それだけの夢だった。ただ確かに、彼女の顔を見ていた。亡くなったのはまだ子供の頃なのに、確かに大人の顔だった。

 

彼女が亡くなったのは、中学校に入ってからだっただろうか? もはやそれすらあいまいだ。小学校のころはクラスが同じだったはずだ。背が高く、快活だが大人びた人だった。

今でも憶えている、というか夢で思い出した。小学校中学年か高学年かの運動会で、徒競走かリレーの選手だった彼女は、一着になれなかったのか、転んだのだったか、とにかく終わって泣いていた。

その泣き方を見て、となりで参観していた母親が言った。あの子は心の成長が早いのね、と。

 

それから数年経って、久々に名前を聞いたと思ったら、お葬式の話だった。小児がんだった。

歩いて彼女の家に行って、棺に顔を合わせてきた。大きいと思っていた彼女は、びっくりするほど縮んで見えて、なんだかどう感じていいのかわからず笑ってしまった。家に帰ってひどく後悔した。その後悔の気持ちも、いま甦ってきた。

 

身近で、若くして亡くなった人たちがいる。事故で。病気で。自死を選んだ奴もいた。深く後悔している死もある。そんなものが夢をきっかけに、またよみがえってきた。

 

なぜみな幸せに生きていないのか。生かせなかったのか。後悔しても詮無いことだってあるとは判っているが、つらさが、積み重なっていく。

 

スピリチュアル系の創作も入ったヨタ話だろうが、オーストラリアのアボリジニには、夢の中の世界が、民族共通の、もうひとつの正しい世界だとみなす文化があるというような話を、遠い昔に誰かから聞いたことがある。しかしそれが本当であれば、どんなに良いことか。

 

大人になってたびたび見る夢には、共通の舞台がある。若い頃にいたニュージーランドの土地や当時のアパート、高校、職場など、いろんな記憶の断片から合成された不思議な場所だ。今回の夢で現れた職場も、その一部だった。

ほんとうに、ほんとうに。そんな夢世界が、真実のものであってくれれば。そんなことを想っている。